目次
- 『先代旧事本紀』の価値
- 一九八一年「対談 古墳の発生」から『古墳発生前後の古代日本』
- 秦河勝と「太秦」
- 律令期陵墓の「在地化」
- 白鳳文化の再検討
- 東国の中期大型方墳の問題
- 魏の民間歌謡と鏡銘
- 三角縁神獣鏡の製作地論争・私記
- 正史が記さぬ二つのこと
- 紫香楽宮跡(宮町遺跡)出土の「歌一首」墨書土器
- 「田邑麻呂伝記」二題
- 通天牙笏小考
- 座談会「東アジアの古代文化」成果とゆくえ
- 沼島の旅
- 「倭京」の形成と「知識階層」の成立
- 四、五世紀の葛城南部における首長系列の交替
- 古代史の空白、百四十七年間の謎
- 日本史のなかの古代
- 刑部と王賜銘鉄剣と隅田八幡人物画像鏡
- 天武・持統朝と道教
- 年魚を釣るオキナガタラシヒメ
- 伊勢の皇大神宮(内宮)創建の年代
- 古代史をもっと面白くするには
- 「任那四県割譲」問題と歴史教科書
- 古代の苑池と王権
- 古代史を書きかえて三十四年
- 旧石器考古学がわからない
- 大宝二年の筑前国志麻郡の戸籍
- 残飯と灯火
- 身体感覚の古代学
- <東アジアの古代文化を考える会>発足の頃
- 井上光貞先生の思い出など
- 浦島伝説の真実
- 未来への期待
- 蘇我馬子と葛城の石
- 思想の考古学から古代学へ
- 陵墓公開運動の欠陥
- 安曇氏の遠祖、「大拷成(大拷梨)」について
- 諏訪大社の鉄鐸と薙鎌
- あづまと日本
- 「漢委奴国王」について
- 蛇剣信仰の起源
- 世界の中の縄文文化
- 三角縁神獣鏡の捩紋
- 東アジアの古代文化と津田左右吉
- 鹿島神と白鹿
- 古代学に対する本誌の貢献
- 『東アジアの古代文化』一読者として
- 古代研究の閉塞状況からの脱皮
- 考古学における空白論ノート(承前)
- 樹下の誓盟は何処で行われたか
- 対馬から観た海人文化の北方系と南方系
- 富本銭の意義
- 讃歎三十四春秋
- 田和山遺跡は果して聖域か
- 中臣鎌足と「大化改新」
- 「鬼」はどこから来るのか
- 古代文化と考古学
- 初期ジャパノロジストたちと神話学
- 古墳時代は律令国家の前史か?
- 三角縁神獣鏡に見られる長方形鈕孔の出現背景について
- 下野国の総社と古代官寺・官衙の方位
- 王墓三遷
- 辰韓の言語について
- 阿閇「皇太妃宮職」と草壁「皇太子」
- アメノウズメの女陰とヒラブ貝
- 『東アジアの古代文化』とその時代
- 日本古代史の三つの定説・通説への疑問
- 鷺のフォークロア(下)
- 人麻呂の吉野歌群の意味
- 纒向石塚古墳の相対年代
- 発掘素描 最終回 邪馬台国論争私見
- 古代史通信 二〇〇八年一月~六月
- 季刊「東アジアの古代文化」総目次
- [編集後記]最終刊にあたって