00はじめに

実家のある九州から飛行機で羽田空港に、羽田からリムジンバスで新宿に帰る。
首都高に乗ったリムジンバスから、オレンジ色に光る東京タワーが見える。
毎年、年明けにその光景を見るたびに「今年も帰ってこれた」と思い、ほっとする。
東京は、私にとって「ここでなければならない街」だ。
ここに戻ってこれなければ、私はもう生きることができないのと同じ、戦線を離脱したのと同じだという思いがある。

東京に出てきたのは、高校を卒業し、大学に入学した年だった。
両親は私が東京の大学に進学することに反対し、親戚の中で祖母と叔父だけが、私の進学に賛成していた。
引っ越しを迎えるその日まで「行ってもいい」とは、言われなかった。それでも学費は払ってくれた。
叔父が「貰っとけ」と、50万入った封筒をくれた。厚い、厚い札束だった。
あんなぶ厚い札束を触ったことはない。

私は進学校に通っていたので、クラスの中で東京や関西の大学に進学するのは「普通のこと」だった。学力があれば、当たり前のことなのだと思っていた。
その「普通のこと」を、私がして何が悪いんだ、と思っていた。
暗くなる前に帰って来いと言うような厳しい親だったから、東京に私が行くことや、私が一人暮らしをすることが気に入らないんだろうと思っていた。

大学に通うには、奨学金を貰う必要があった。貰うためには、親の所得証明を提出しなければならなかった。
そのとき、初めて親の収入を知った。
自分は、なんということをしてしまったんだろうと思った。行かせたくないんじゃなくて、無理だったんだと、初めて知った。
「普通のこと」なんか、この世にはない。「普通で当たり前のこと」なんか、どこにもない。私が東京で「普通で当たり前のこと」をするために、親は、どんな犠牲を払ったのか。考えるのも恐ろしかった。
あんなに働いて、これだけしかもらえない、それが「普通で当たり前」なのだと、私は知らなかった。

上京して最初の夏、私は実家に帰った。すぐ目の前をJRの線路が走る、エレベーターのない公団の四階の部屋だ。
入って、呆然とした。こんなに狭い家に四人で暮らしていたのかと思った。
自分が東京で暮らしている部屋は、六畳で、家具は全部新品で、「狭い狭い」と文句を言ってはいたものの、この家とは全然違っていた。
東京で、田舎で狭い団地に住んでいる家族のことなんかなんにも知らないような顔で、「都会の一人暮らし」をしている自分が後ろめたかった。自分だけ、なんの苦労もせず、いい思いをしている。ろくに勉強もしていないのに、自分探しのような、得体の知れないもののために、お金を出してもらっていると思った。

九州で、私は「変わった人」だとか「なんでも知ってる」とか言われるのが、すごくいやだった。
私なんか東京に行けば何も変わってないし、東京に行けばなんでも詳しい人が山のようにいて、自分なんかなんでもないんだと思っていた。
自分なんかなんでもないことを知って、頬を叩かれて、「ちゃんと生きたい」と思っていた。
いろんな文化にかぶれて、流行に流されて、はっきり何がいいとか悪いとか言えない自分は、いやだった。何がしたいのかわからないのに、自分のことを特別だと思いたがっている自分も、いやだった。そんな自分は「ちゃんと生きてない」のだと思っていた。
その気持ちは大学を卒業し、フリーターをやって、出版社に就職し、辞めてフリーライターになる25歳までずっと続いた。
その年まで、私は東京が怖かったし、居場所がないような気持ちでいた。私は何者なのか、言えないでいた。

18歳で上京し、私は今年、36歳になった。
ずっとずっと待っていた瞬間だった。
九州で過ごした年月を、東京で過ごした年月が越えてゆく。

「都会の人」に憧れたわけではない。
故郷に錦を飾りたいわけでもない。
ああやって、逃げ出してきた故郷に、帰りたくないだけなのだ。
そして、故郷から逃げ出して行く先は、東京しか思いつかない。
ほかの場所でも、どこでも、かまわないはずなのに。

たぶん、理由のひとつは、私の育った福岡という街そのものが、東京に憧れ、東京の相似形を成しているようなところがあるからではないかと思う。
福岡に来た東京の人はみんな驚く。「すごいお洒落な街だね」と。
そして東京に来た福岡の人もみんな驚く。「東京って、汚いし意外とださいんだね」と。
当たり前だ。東京のお洒落なセレクトショップばっかり持ってきたのが福岡だからだ。東京の中で、センスがいいと認められたものは福岡にもだいたいやってくる。しかも東京よりも売り切れる速度が遅いから、ものが豊富にある。考えようによってはこんなにいい街はない。
でも、私はそこにいるのがつらい。
自分は福岡では「お洒落じゃないから」と排除された側の人間だからだ。
分相応に上手なお洒落を楽しんでいる、センスのいい福岡の人たちの中にいると、背伸びしてセンスのいいものに憧れてアンバランスな服装をしている自分が、とてもみじめに感じた。
福岡の街に対して、恨みと憎しみに近い気持ちを持っていた。

帰省中、実家から電車に乗って、天神へ行くとき、通っていた高校のある駅を通る。
私はその瞬間、今でも目を閉じ、息を止める。
燃やしてしまいたいほど、故郷を憎んでいる。
いつか帰らなければいけないときが来るとしても。
帰省すれば、喜んで買いものをするし、地元の食べ物をおいしいおいしいと食べているのに。
故郷での自分は分裂していて、居心地が悪い。

憧れたものは、みんな東京にあった。
自分の価値観や、やりたいことさえしっかりしていれば、どこで暮らしていても大丈夫なのだろう。
私にはそういうしっかりしたものがない。なんにもない。だから東京でなければ生きてゆけないような気がする。
消費の渦の中でもみくちゃにされることが、生きていることなのだと、錯覚しているだけなのかもしれない。

東京の夜景の、ビルの上の赤く点滅する灯りが好きだ。
東京湾にそびえ立つ無数のクレーンが好きだ。
まばゆく光る夜景の中で、そこだけ真っ暗に沈み込む代々木公園や新宿御苑の森が好きだ。
街灯が十字架の形に光る青山墓地が好きだ。
生きている者の欲望のためにいくらでもだらしなく姿を変えてゆく、醜い街が好きだ。

ほかの街では、夢を見ることができない。ほかの街では、息をすることもできない。
そう思いながらも、ときどき東京にいることに息苦しさを感じて、どこかに行きたくてたまらなくなって、知らない街に行くとほっとする。矛盾している。
東京以外の場所にいると、自分が日常の輪郭を失い、何者でもない自由な人間であるような気持ちになる。
その感覚を求めて、さまざまな街を渡り歩きながら生きていったって、いいのだろう。
だけど、輪郭をすべて失ってしまうには、まだ早すぎるのだ。はっきりとした輪郭なんて、まだ持てていないのだから。
誰かに、今だというときに、なんの見返りも求めずに厚い封筒を差し出すことが、自分にはできるだろうか。そのような「何者か」に、私はまだ、なれていない。
もしかしたら、そういうことでもないのかもしれない。中途半端なまま、中途半端であることを、しっかりと味わうことを、今はしないといけないのかもしれない。
いや、しなければいけないことなど何もないことが、ただ、こわいだけなのかもしれない。

東京タワーのオレンジ色に私は祈る。
なにを祈っているのかは、わからない。