02声出していこう!

40歳が近づいてきて、まず最初に焦ったことは「仕事」だった。ライターの世界ではよく言われることだが、「自分より年上のライターとは仕事しにくい~って理由で編集者の依頼が途絶える」というのはほぼ定説だし、自分の書いているものが同世代の女性に向けてのものが中心なため、年齢層が上がっていったらどうなるのか、正直予想がつかなかった。

女性エッセイの棚は、だいたいキラキラしていて、20代~30代向けという感じがする。そもそも私の本は、そのキラキラ棚の片隅の「キラキラしてるやつとはちょっと違いますよ」的なポジションに置かれているのが現状だ。とりたてて詳しい専門分野もないのに、この世界でこの先、ご飯を食べて家賃を払っていけるのだろうか。

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何かこれというジャンルを見つけて、今からでも勉強して知識をつけるべきなのだろうか。でもそれって、自分のやりたいことなのだろうか……。そんなことを考えていたとき、祖母が亡くなり、葬儀に出ることになった。

できたばかりだという真新しい斎場で、葬儀は滞りなく行われたが、司会の女性が「それでは最後に、故人の思い出をみなさまとともに振り返りたいと思います」と言いだした。
「え?」と思っていると、デジタルフォトアルバムに過去の写真が映し出され「◯◯さんは、◯年に◯◯市に生まれ、◯年に伴侶となる◯◯さんとめぐり合われました」と、祖母の人生紹介が始まった。この時点では「身近な人物のことって意外と知らないものだなぁ」なんて感心していた。

ところが、後半に入ると「◯◯さん、あなたは、晩年は折り紙を折られ(折り紙工作が趣味だった)、大正琴を奏でられ、ご旅行を趣味にされていましたね」などと、なぜか「あなた」が入る呼びかけ口調に変わっていった。

私は思った。「これが、最近流行っていると噂の『斎場ポエム』というやつか!」と。そして、猛烈に怒っていた。ポエムで葬儀のムードを壊されたからではない。ポエムの内容があまりにも薄かったからである。私だったら遺族に30分インタビューして、もっと会場をガンガン泣かせる原稿書いてやるのに……。

そこまで思ってハッとした。これからの高齢化社会、人死にだけはなくならない。私にはインタビューができ、原稿が書ける。あとは読めれば「斎場ポエマー」として、副業ができるのではないか、と。

その頃、もうひとつ考えていたことがあった。出版不況のせいか、都内では本の出版記念イベントというものが異常に増えていた。しかし、しゃべるのが本職でない人間が人前に出て、いきなり流暢なトークができるわけではない。いろんなイベントを観もしたし、出もしたが、イベントが面白くなるかどうかは司会や出演者の腕にかかっている。特に3人以上のゲストが来る場合、うまく仕切れる人がいない限り、誰かに話が集中してしまったり、バランスの悪い進行になりがちだ。自分でも「うまくしゃべれなかった」と後悔することが多かった。

特にこのとき、NOTTVの『禁断ガール』というトーク番組に隔週で出演し始めていて、もちろんしゃべらなければいけないのだが、MCの東幹久さんに隣の席から近距離で「雨宮さんはどう思う?」と訊かれると、その目力に圧倒されてドキドキしてしまい、もうぜんっぜんうまい返しができないのである。こんなんでギャラをもらっていいのか、という苦い気持ちが続いていた。

しゃべれるようになりたい。ちゃんとしゃべれるようになれたら、何か、別の道が開けてくるかもしれない。そんなことを思い、私はボイストレーニングの学校を検索し、申し込み、通うことにした。

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「ライターさんなんですね。それで、イベントとかで人前でしゃべる機会もある、と」。先生は、どういう練習をするか考えている様子だった。確かに、しゃべるのが上手くなるというのは、ボイストレーニングとは別の分野の話である。「あの、とりあえず緊張して声が小さくなったり、早口になったり、舌がまわらなかったりして言いたいことが伝わらないっていう状態を避けたいんです」。私がそう言うと、まずは滑舌の練習から始まった。あの有名な「ガマの油売り」もやった。

ライターというのは、インタビューのテープ起こしなどで自分の声を聞く機会も多い。私は通りの悪い自分の声が嫌いだったので、そのことも相談し、声がまっすぐに通る発声法もやってみた。

まぁ、本来ならそういう地道な訓練を繰り返していくものなのだと思う。しかし、私も先生も、正直この練習にだんだん飽きてきていた。大の大人が狭いスタジオで顔つきあわせて、特にできても喜びのないガマの油売りをやってても、しょうがないんじゃないか……という倦怠感が訪れたのである。

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「最近、何かありましたか?」。レッスンはいつもそこから始まる。私は「イベントに出ました」とか、「番組の収録で、前よりは話せました」とか、優等生的な答えをしていたのだが、その日はなぜか、もっと先生に対して正直になってみようと思った。「初めてプロレスを観に行ったんです」「へぇ、どこのですか?」「新日本プロレスで、すごいかっこいい選手がいたんですけど、恥ずかしくて名前を叫べなくて」「誰ですか?」「中邑真輔選手です」「ああー! じゃあまず叫んでみましょうか」「えっ」「はい、3、2、1でいきますよー。3、2、1!」「し……しんすけー!」「喉が開いてない!」「しんすけーッ!」「会場どこですか?」「両国国技館です」「国技館じゃ届かないですよーハイもう一回!「しんすけーーーッ!!!」。

何をやっているんだろうか。しかし、この一件で、私は先生となんだか多少、腹を割って話せるようになった。先生も、私にとって楽しめるようなレッスンをしたいと思っていることがよくわかった。
「喉を広げて声を通すために、歌ってみるのはどうでしょう。何か歌ってみたい歌、ありますか?」。次はそう訊かれた。「歌えるかどうか自信はないんですけど、『Let it go』が歌ってみたいです」「え、松たか子のほうじゃなくて?」「イディナ・メンゼルのほうが好きなんです」「わかりました。じゃあ入れてみましょう」。先生がスタジオ内のカラオケのボタンを押す。

「最初のサビはもっと抑えめで、二度目で爆発させる感じで、抑揚を大事にするといいですね」と的確なアドバイスを受けながら、私は「あの、先生、私これいつもアニメのままの振り付きで歌ってて、それがないとどうにも感じが出ないんで、身振りつけてもいいですか?」と言っていた。先生はまったく動じず、笑って「いいですよ! マイクスタンド出しましょう!」とスタンドを立ててくれた。私は吹雪の中を歩き、手袋を外し、マントを外し。足を踏み出し、王冠を投げ捨てて窓を開けながら「レリゴー、レリゴー」と解放の歌を歌い続けた。

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結局、ボイストレーニングには半年ぐらい通った。話すのが上手くなったとはとても言えないが、先生の前で「しんすけーッ!」と叫び、「レリゴー」を感情込めて歌い上げることで、私の中で「人前で大きな声を出すことへの恐怖感」みたいなものは、ずいぶん消えた。音痴でも別にいい、という開き直りも生まれた。

斎場ポエマーへの道が開けたかはわからないし、トークイベントでのトークは相変わらず下手なままだ。『禁断ガール』では、東さんの目力にだいぶ慣れ、東さんの人柄の良さに触れてだいぶリラックスして話すことができるようになった。

世の中には「そんなことして、何の役に立つの?」というようなことがある。私のボイストレーニングも「ほんとにそれ、やるべきことなの?」というようなものだったかもしれない。

あの時間は、べつにすごく好きな時間でも、大事な時間でもなかったけれど、私の体感を変えてくれた貴重な時間だった。長い間、声を出すこと、しゃべることが恥ずかしかった、そのことを変えてくれたし、私はそれ以来、しゃべること以外でも、なんだか多少の恥ずかしいことは、全然平気になってしまったのだ。
「そんなことして、何の役に立つの?」ということの中にも、なにか役に立つことはある。あの、ただ叫んだり歌ったりしているだけのボイストレーニングに通ったことは、「そんなトシでそんなことして何になるの?」と言われることが増えるであろうこの先、覚えておきたい体験になった。