04裸になっていこう!

私の世代のバイブルと呼ばれるドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で、好きなエピソードがある。いや、好きなエピソードはそりゃあもういくつもあるのだが、「これ、私もいつかはやってみたい」と思って、覚えていたエピソードがある。それは、サマンサという性的に奔放な人物が、自分のヌード写真を撮って、部屋に飾る、というものだ。

彼女は、自分のことが大好きで、ナルシストな自分を恥じない。堂々としている。メインの登場人物4人の中で、彼女がいちばん美しいというわけではないのに(彼女が最年長である)自分の裸がきれいなうちに撮りたいと思ったら、撮る。臆面もなく腕の良いカメラマンに依頼して、最高の出来の写真を撮ってもらう。

文具

若さを失うということは、可能性を失うということである。私はこの「可能性」という言葉が、若い頃は大嫌いだった。「若いんだからなんでもできる」なんて言われても、目の前にはいろんな壁があって、「なんでも」なんてできなかった。可能性はあっても、どれかを選べば、他の選択肢は消える。それを選ぶプレッシャーはきつかった。

その「可能性」がどんどんなくなって、38歳で私は突然、自由を感じた。「失うものが減ってきた」という身軽さを感じた。

今なら、なんでもできる。やりたかったこと、我慢なんかしなくていい。失うものも捨てるものも、もうあんまりない。

昔は、裸になったら、失うものがあると思っていた。人に何を言われるかわからない。流出したらどうするんだ、とか、そんな写真を撮らせるような女だと、好きになった相手に軽蔑されたらどうしよう、とか、こまごましたことを考えていた。

でも、もうこんな風に、年齢のことでごちゃごちゃごちゃごちゃ、細かいことで一喜一憂するのなんかごめんだ。男の視線が気にならないと言えば嘘になるけど、もっと根本的なところで、私は私をそのまま肯定したい。私は私だと、どんな姿でもどんな年齢でも私は私だと、自分で自分に宣言したい。

ナルシストになりたい。自分で自分に酔いしれるくらい、自分のことを好きになりたい。多少太ったとか痩せたとか老けたとかそんなことでは動じないくらい、自分を好きになりたい。急に、湧き出る泉のように、そんな気持ちがこみあげてきた。

バッグ

まず、いきなり友達に連絡した。
「個人的に、裸を撮影してくれるカメラマンさん、知りませんか?」
「えー、うん、知ってるけど、ポップな感じと、ニュアンスのある感じと、どっちが好き?」
「私がポップって顔してると思います!?」
「じゃあ、すごくいいのはこの人かな」

送られてきたURLには、好きな感じの写真が並んでいた。この人に、私は裸を撮ってほしい。そう思って、すぐに連絡した。メールでなぜ撮って欲しいと思ったかなどを簡単に話し、私の家でテスト撮影をすることになった。

家に人を呼ぶことすらめったにないのに、初対面の人が家に入ってくる。そして、私の写真を撮ってくれる。

写真を撮られること自体、私は得意じゃない。意識しすぎてどうしてもこわばった顔になってしまう。なのに、さらに追加で裸だ。こわばるどころの騒ぎじゃない。

覚悟はしていたし、相手はプロなんだから、恥ずかしいとか、どうしようとかいう気持ちはそんなになかったが、「そのセーター、脱げる?」と言われたときは、「脱げます」と言いつつ、セーターとは別のなにかを脱ぎ捨てていくような感じがした。

自分で自分の首から下を見られなかった。どんなになってるのか、怖くて見れないのだ。すっごくたるんでたらどうしよう。もう見せてしまったものはしょうがないのに、泣きたいくらいひどい様相を呈してたらどうしよう。撮られている間が、私は自分の身体からいちばん目をそらしていた時間だったように思う。

自分の身体なんて、見たことある。知ってる、と思ってたけど、それが寝そべったり座ったりしたときにどんなふうになっているのか、私は全然知らなかった。

そんな自分さえ知らない部分を、ただ見つめて、写真を撮ってくれる人がいる、その時間は、これまでに体験したことのない時間だった。

大げさかもしれないけれど、すべて、許されている気がした。醜くても、これがもし、いい写真にならなくても、それでもいいと言われているような、そんな気がした。

サボテン2

撮影が終わって、コーヒーをいれた。

その日が初対面なので、いろいろ話をした。

うちは狭くて、お客さんをもてなすスペースがないから、チェストの上にコーヒーと灰皿を置いて、少し窓を開けて、そんな状態で話をした。忙しい人だと聞いていたので、引き止めるのは迷惑じゃないかと心配しつつ、いろんな話をした。

裸も部屋も見られている、初対面の人と話すのは、不思議な感じだった。そんなに踏み込んだ話をしたわけじゃなかったけれど、ただ、受け入れられている感じがした。

そのまま数時間話し込んで、「あ、もうこんな時間になっちゃった。じゃあ、そろそろ」となったとき、私はその人と、抱き合いたい、と思った。

そのときに、「雨宮さん、ハグしましょう」と言われた。私は、同じ気持ちだったことが嬉しく、しっかりハグをして、お見送りをした。

人に「ハグしたい」なんて思ったこともなかったし、思うままそうしたこともなかった。心が、ものすごく素直になっていた。自分はこんなふうになれるのか、と思ったし、こんなふうになれたことがとても嬉しかった。

コーヒー

セクシャルな関係じゃなくても良い関係は作れるとか、男女の関係ってそれだけじゃないとか、そういう言葉はたくさんあるけれど、あのとき、私は本当に心が充足していて、ほかに何もいらなかった。性的な目で見られないことに傷ついたとか、そういうことも全然なかったし、ほめてもらえなくても全然よかった。ただ、そこに、私のような人間がいて、生きていて、それは大事なことなのだということをそのまま受け入れられているのが、とてもよかったのだ。

そういうことがこの世にはあるんだと知った。それで十分だった。

少しでも心が通じて、触れ合って、そうやって生きていければ、それってすごくいいんじゃないかと思えた。

ナルシストになれたわけじゃない。でも、この変化は、私にはとても嬉しい変化だった。

メガネ

自分にとっては大きな体験だったので、私は友達数人にこの話をした。すると後日、友達から「私も、妊婦ヌードを撮ってもらうことにした」と連絡が来た。もう一人、別の友達からも「二人産んで、もう身体に自信なんて全然ないけど、これを機に撮ってもらうことにした」という連絡が来た。

世界を変えることはできなくても、自分の周りをささやかに変えることはできる。裸の写真を撮るなんて全然考えてなかった人たちが、自分の裸の写真を見て「私、悪くないじゃん」と思えるくらいまで変えられたら、もう、ささやかな革命家としての役目は十分すぎるほど果たせたと思っている。