05変身していこう!

Facebookで、気になる人がいた。友達のコメント欄によく書き込んでいるのだが、アイコンがあの『ベルサイユのばら』のオスカルに扮装しているものなのだ。「もしかして、宝塚が好きな人なのかも……」と気になって、ある日勇気を出して「もしかして宝塚がお好きなんですか?」とコメントしてみると、まさかの答えが返ってきた。
「いや、すみません私ジャニオタなんです! この写真は、40歳になったときに記念に撮ったやつなんです~」

まさかのジャニオタ。いや、それは別にいいんだが「40歳の記念に思いっきりコスプレ写真」という発想。そしてオスカル……。それをアイコンにする度胸も含めて、なんか「この人いいな」と思った。

アクセサリー

コスプレイヤーという言葉が流通するようになってから、本人もかわいければコスプレとしての完成度もものすごく高いコスプレというものを目にする機会が増えた。そういうものを見ていると、コスプレというのは、どんどん自分からは遠いものに感じられるようになっていく。若さが足りない、美しさが足りない、かわいさが足りない、手間と工夫が足りない……。

別にコスプレイヤーになりたいわけじゃない。しかし、私には、人に言えないというか、言うまでもないほどどうでもいいコンプレックスがあった。

それは、「綾波レイ」になりたいけど、なれない、というコンプレックスだった。

少し説明が必要だと思うが、私が大学生の頃『新世紀エヴァンゲリオン』というTVアニメが流行った。いや、流行った、という言葉には少し違和感がある。これまでにないまったく新しいロボットアニメの出現に、ロボットアニメに興味のなかった層まで興奮し、熱狂した。「綾波レイ」というのは、そのアニメに登場するヒロインである。

個人的には、綾波レイというヒロインは好きでもなんでもなかった。しかし、綾波レイが当時の男心にグサグサ刺さる存在であることは、肌でビリビリ感じ取っていた。

劇場作品が公開されれば必ず観に行ったし、今も行っている。もうだいぶ年月が経ったし、新しいキャラも出てきたりしているし、みんなが気にしているのは主にこの物語の行き着く先であって、もはやみんながみんな綾波レイに欲情しているわけじゃないとわかってはいるのだが、それでも当時、ある種のセックスシンボルのようだった綾波レイの地位の高さ、というのを私は忘れることができなかった。

化粧品

世の中をふたつに分けるとすると、綾波レイのような女のコスプレができる女(それは広義では、てらいなくモテる女の服装ができる女と言い換えることができる。むちゃくちゃだけど、私の中ではそうなんである)、と、そうでない女、になる。

綾波レイになれなかった女が、私であり、綾波レイになれなくても、なんとか自分なりにいい感じになろう、とあがいた結果が、今の40手前の私の状態であった。

そこに、偶然の出来事が起きる。一回りぐらい年下の男の子の友達が、いまさらエヴァンゲリオンにハマったのである。彼は、一度ハマるとすさまじい集中力を発揮するタイプで、一気に詳しくなり、そして「シンジ君になりたい」と言いだした。

なりたい、というのは、「シンジ君みたいになりたい」という漠然とした欲求ではない。「シンジ君になりたい」はそのまんま「シンジ君になりたい」だった。その日から彼はシンジ君のプラグスーツを買えないか検索をし始めた。

その様子があまりに一生懸命で面白かったので、私もつい、協力するつもりで検索していたら、見つけてしまったのである。綾波レイのプラグスーツの、どえらく安いやつを。

青いカツラと合わせて買っても、一万円を切った。amazonですぐに届いた。もちろん着た。頭につけるインターフェースもしっかりつけた。青髪はさすがに違和感がありすぎたのでやめて、地髪で着て、鏡で自撮りした。そしてそれをFacebookにアップした。

ピッタピタのプラグスーツから、熟れた身体は逃れられない。それは、綾波レイとはほど遠い、綾波レイとは違う生き物だったが、それでも私は「自分が綾波レイのプラグスーツを着ることができた」という事実に打ち震えていた。一人ですごい笑ってしまった。人生でまさかこんな瞬間が来るとは思わなかった、と言える瞬間のひとつが、なんか情けないけど、これだ。

Facebookにアップしたら、アラフォー女の勇気ある綾波コスプレにはたくさんの「いいね!」がついた。シンジになりたいと言っていた友達からは「なんか、白イルカに見える」という率直な意見をいただき、しばらく白イルカと呼ばれるなどの憂き目に遭ったが、あれを着たときの爽快感といったら、なかった。

1995年から20年が経ち、私はついに、綾波レイになれたのだ。憧れていた形とは少し、いや、だいぶ違ったけれど、「乗り越えられないと思っていた壁」を乗り越えられた、という確かな手応えと快感があった。

と同時に、こんなに簡単に乗り越えられることだったんだ、というあっけなさもあった。amazonで1万円もかからずに、家から出もせずに運ばれてきたものを家で着ただけ。こんなことであっさり、「綾波コンプレックス」が溶けて消えてしまうなんて。なぜこれまでやらなかったんだろうと思った。

シューズ

それから、私は、ちょっとでもやってみたいこと、やってみたいけど自分には似合わないんじゃないかなと思うようなことに、どんどん首を突っ込んでいくことにした。38歳で、宝塚大劇場に併設されているステージスタジオで、『エリザベート』のトート閣下のコスプレもした。その出来がどうだろうと、やれば気が済むし、楽しめる、という答えがもう出ていた。

こんな、たかがコスプレのことでバカみたいかもしれないけど、自分で自分という素材を面白がれる状態というのは、なってみるとめちゃくちゃいいものだった。失敗したコスプレ写真は、軽く笑ってなかったことにできるぐらい神経太くなれるし(スカーレット・オハラは死ぬほど似合わなかった!)、似合ったら似合ったでなんかやっぱり面白いし、とにかく「やりたかったことをやった」という意味で、気が済んでスッキリする。

そのせいなのかわからないが、近年、私の買う服はどんどん衣装化している。「それ、どこで着るの?」と問いただしたくなるような服や、ヘッドドレスなども増えている。「どこで着るっつうか、一生に一度着てみたかったんだよ!」と心の中の自問自答で怒鳴り返す勢いで、そういうものに手を出している。将来的にはもう、「そういう人」ということで自由に生きていきたい。着るものぐらい、自由でいたい。そう思うようになった。