07傷口に酒を塗れ!

私はお酒がほとんど飲めない。ビール一杯程度で顔が真っ赤になるし、それ以上飲むと酔うどころか気持ちが悪くなる。そういう体質なのだろう、と思っていたし、「酔う」という感覚を味わったことがなかった。

初めてその感覚を知ったのは、36歳のときだった。歌舞伎町の風林会館という会場を借りたクラブイベントで、誰がおごってくれたのかわからない大量のテキーラのショットが回ってきて、あまりにもその場が楽しかったのでつい2杯ぐらい飲んでしまった。そしたらてきめんに酔った。酔いながら「あ、これが酔うって感覚なんだ」と思った。知り合いに会ってはハグし、知らないダンサーの女の子に「あなた最高! これ飲んで!」ってビールおごったり、普段の自分からは想像もつかないほどオープンマインドになっていて、酒が効きすぎて光はまぶしいし、視界も聴覚も狭まるような感覚があったのだけど、そこに聞き覚えのある音が聞こえてきて「あ、これtofubeatsだ」と、私はやっとステージを向いてまともに音楽を聴いて踊った。幸せな時間だった。帰ってからは、ものすごく吐いた。

サボテン1

ただ、そのときに「混ぜた酒をゆっくり飲んでもああはならないけど、強い酒をショットで連続でいくとけっこう楽しい感じで酔える」という知識を得た。

その知識が活躍したのは、つきあって、結婚とかまで考えていた相手から急に「愛情が薄れた。距離を置きたい」と言われたときだった。
「ちょっと、お酒出して」。私は彼秘蔵のおいしい焼酎をストレートで飲み干した。2杯飲み干す頃にはベッドでごろんごろんの状態になりながら、お互い本音をぶちまけることができた。そんな話なのに、なんだか妙に和やかに話していたのを覚えている。別れるなんて耐えられない、死のうか、と考えているのに、人の表面っていうのはおかしなものだ。翌日、自宅で一人になったとき、彼がうちに置いていた上等のラム酒をそこそこの量の薬と一緒に飲み干した。『完全自殺マニュアル』世代の私だから、そんなことでは死なないとわかっている。吐瀉物による窒息か、お風呂で溺れるかするなら別だが、ろくに食べてないしどっちもないだろう。ただ、とにかく数時間でもいいから意識を失って、何も考えずにいたかった。

目が覚めたらベランダに出た。春先の、まだ冷え切った手すりを掴んで、これを乗り越えられるか考えた。下はコンクリート。うまくいけば、『完全自殺マニュアル』の保証書つきの死に方ができる状況だ。

しばらくそんな日が続き、私は玄関に小さなメモを置いておくようにした。緊急連絡先として母の携帯電話の番号と、その横に「福岡在住なのですぐには来れません」という注意書き、親しい友達の名前と電話番号、彼の名前と電話番号も書いた。あとの処理を頼むのに必要だからで、あてつけとかではなかった。そのメモがあると安心した。仕事の行き帰りにそのメモを目にすると、もういつでも最低限の準備はできているんだとほっとすることができた。

一週間が経ち、二週間が経ち、私のショックはゆるやかに薄れていった。一ヶ月が経ったとき、やっとその玄関のメモを捨てることができた。

コーヒー

最大の危機は39歳のとき、突然訪れた。自分の人生には起きないだろうと思っていたこととか、自分はこういう人間だと思っていたこととか、すべてがひっくり返されるようなことが起きた。まさか、この年齢で、と思うようなことが起きて、はっきり「年齢なんてあてにならない」と思った。40歳、普通なら落ち着きそうな40歳という年齢であっても、神様は何も、手加減も容赦もしてくれない。40歳でも信じがたいことは起きるし、ドラマチックなことも、喜劇も悲劇もロマンチックコメディも、なんでも起きる。舞い上がったりドン底に叩き落とされたり、混乱の極致に立たされて、私は「もう無理。起き上がれない」と友達にLINEして、薬を飲んでベッドに潜り込んだ。目覚めたら返事が来ていて「状況をLINEでごちゃごちゃ聞くのもめんどくせーから、家行くわ。なんかいるもんある?」と書いてあった。「LG21と、ポカリの大きいボトルと、あと強いお酒」と書いて送った。彼女は仕事帰りにウォッカのボトルを抱えてうちに来て、「まずこれ飲みな」とウコンの力を渡して飲ませ、ベッドでぐだぐだしながら飲んでいる私を相手に話を聞いてくれた。

よくある話なのかもしれない。でも、私はこういう人間ではなかったのだ。ほんの少し前までは。こんなに人に弱みをボロボロ晒せなかったし、助けてほしいと言えなかった。_散らかっている部屋に、部屋着のままで友達を入れる、なんてこともしたことがなかった。でもそれは、とても安らぐ時間で、本当に助かった。

何も食べられない日が続いた。グループLINEで「食欲がなくて食べられない」と言うと、一年ほど前にまったく同じ状態になったという友達が「肌と髪の毛にくるから、食べれなくてもせめてアミノバイタルは飲んだほうがいいよ」と、ものすごく有用なアドバイスをくれた。

食べなくても人の身体はそれなりに動くもので、特に仕事にも何の支障もなかった。一週間で5キロぐらい落ちた。少しずつ、お粥を食べるようになって、1日1食ぐらいは食べられるようになっていった。その頃に友達との集まりに行くと、手作りのマフィンを差し入れてくれたので、「これすごいおいしいね」と食べていたら、「まみさん、今日ちゃんと食べてるね」と、まるで手負いの獣が久しぶりに食事を口にしたときのような、心からの安心が混じった口調で、笑って言われた。

何を失ったか、どう自分が傷ついているのか、いつそれが癒えるのか、出口はまったく見えなかった。ただ、自分の周りには、こういうふうに思ってくれている友達がいるのだ、ということが身にしみてわかった。

シャツ

しばらくはアップダウンが激しく、私は食事をするようになったものの、やっぱり「もう本当に今夜だけは乗り越えられない」と思う夜が何度かあった。そういうときに「じゃあ水曜みんなで飲もう。水曜まで持ちこたえて」と、必ず言われた。もう本当に明日のことなんて考えられないし考えたくないし、自分がいつ、傷だらけの状態から戻ってこれるのかもわからないし、このまま友達に愚痴るばかりのうっとうしい女に成り下がっていくのも耐えられない。でも、そんなことより、今夜は飲むんだ、ということのほうが勝った。

水曜日、私は黒いドレスを着て、大きいアクセサリーをじゃらんじゃらんにつけて、渋谷の道玄坂の奥のほうのブラジル料理屋に行った。椅子に座るなり「テキーラをショットで2杯と、ウーロン茶を氷なしで1つください」と言う私を見て、友達はみんな「ドレスで店入ってきてそんな注文する女、映画でしか見たことねーよ」と笑い転げていた。普段はビール1杯程度しか飲まないのだから、あまりにわかりやすい荒れ方が面白かったのだろう。

その日は一人だけ、遅れて来る友達がいた。私がレモンを齧りながらテキーラ2杯を飲み干す頃に彼女が店に入ってきた、のだが、やたら大きめのドラッグストアの袋を持っている。私の飲みっぷりを心配した友達が彼女にLINEして、ウコンとかそういうやつを買ってきてくれるよう頼んでくれていたらしく、彼女は律儀に薬剤師に何をどう飲むのが一番効き目があるか聞いて、「まみさん、まずこの錠剤を2つ、ウコンの力と一緒に飲んで。で、明日の朝はこれ飲んで」と全部手渡してくれた。別の友達が「これも明日飲んでね」とだしパックまでくれた。私はおとなしく錠剤をウコンで飲み干し、テキーラをさらに2杯注文した。
「強いお酒って、みんな同じ味がする」。私はそう言った。昔飲んだテキーラも、彼の家で飲んだ焼酎も、自分の家で飲んだラムも、全部似たような味だった。

3杯目を飲み干し、4杯目を飲んでいると、途中で突然味が変わった。「酔っ払ったら酒が甘くなった!」と私は言い、「おいしい!」とその4杯目を最後の一滴まで飲み干し、グラスを逆さまにして見せた。

視界が狭まる程度に酔っていて、友達に寄っかかって、足を投げ出して、気持ちが良かった。投げ出した足に、友達が手作りのターコイズブルーのアンクレットをプレゼントしてくれ、その紐につけられたピンクの石がキラキラしてとても綺麗だった。外では滅多に吸わない煙草を「吸っていい?」と訊いたら、吸ってるところなんて一度も見たことのない友達が「私も吸う」と言いだした。彼女も、同じ時期に私と似たような激しい波に呑まれて苦しんでいた一人だった。彼女の煙草に火をつけてやり、自分のにもつけて、一緒に吸った。韓国映画だったか香港映画だったかに出てくる、手を組んで杯を傾ける組み手酒もやった。心はズタボロでも、楽しかった。ズタボロの状態でも許してくれる人たちに囲まれている安心感があった。突っ込んだことを言わなくても、二日酔い対策をしてくれたり、帰りにタクシーで送ってくれたり、さりげなく、当たり前みたいに支えてくれているのがわかった。

たぶん人生で最大の量を飲んで、帰ってからも私は酔っていた。気持ち良くて音楽を聴いて、ふと「今なら飛び降りられるな」と思った。今のこの感じなら、すっと飛び降りることができる。怖くない。さぁ、Major Lazer & DJ Snake feat.Mφを聴きながら飛ぶか。たぶん飛ぶことすら今は気持ちがいいはずだ。風は生温いし、手すりも冷たくなんかない。

そうしてもいいと本気で思った。けど、40前でこんなことが起きるんだったら、人生ってどんだけむちゃくちゃなんだろうか。もっと、もっと、気持ち良くて、死ぬほど楽しくて、死ぬほど傷つくことが、この先には待っているんじゃないだろうか。もう耐えられないというほど傷ついていても、私はなんだかそのことが、とても面白そうに思えてしまった。どうせズタボロなら、もっとめちゃくちゃになってしまえばいい。自分のモラルや理性や大事にしてきたものが全部壊れてしまうくらいの嵐に巻き込まれてしまえばいい。そして、不思議とそのことは怖くはなくて、少しだけ楽しみなことのように思えたのだった。

私は、嵐が見たい。次の嵐が見たい。

シューズ

翌朝、LINEを見たら「まみ、昨日、酒が急に甘くなったとか言ってたけど、あれ、トイレ行ってる間にジンジャーエール入れといただけだからね。酒が甘くなることはないから、勘違いして言いふらさないようにね(笑)」というのが来ていて、二日酔いで起き上がれないベッドの中で死ぬほど笑った。そして、ベッドから這い出して昨日もらったヘパリーゼのドリンク剤を飲んで、お湯を沸かしてだしパックのだしを飲んだ。

Blow a kiss, fire a gun. All we need someone to lean on.

私は友達がそんな状態になったとき、あんなに上手に支えることができるだろうか? できるようになれたらいい。幾度もの嵐のあとで、嵐のあとに必要なものをすっと差し出せるような人になれたらいい。