09東京の女王

40歳を前にして、急にそれまでに会ったことのないような人種の人と出会うことが増えた。野心があって、自分のしたいことに正直で、てらいがまったくなく、噓もないパワフルな人たちである。そして、そういう人たちはもれなくすごく軽やかで、自分に嘘がないから健やかでもある。

私は自分自身が、どちらかというと内向きな人間で、野心はあるものの、それをはっきり表に出すのはなんだか恥ずかしく、欲しいものにパッと手を伸ばすことができない人間である。そんな自分にとって、真っ直ぐにパワフルな人たちはまぶしすぎて、どうしても劣等感を感じてしまうから、無意識のうちにあまり近づかないようにしていたところがあった。出会っても「あの人は私とは違う」と、どこか一線を引くようなところもあった。

でも、そんなことをしていられなくなった。実際に会って、その人たちの屈託のなさ、ためらいのなさ、妥協のしなさ、自分を曲げない意志の強さ、世間の常識とは違っていても、自分が正しいと思うものを信じる力の強さ、フットワークの軽さ、そういうものを目の当たりにしていると、絶対にそっちのほうが正しいとしか思えなかったのだ。本人たちは多分、普通にいつも通りの言葉で話し、いつも通りに行動しているだけなのに、私にはその自由さがとても新鮮で、ああ、こういうふうにすればいいのか、とも思ったし、こんなことができるのか、と衝撃を感じもした。

いかに自分がこれまで、狭く小さな世界にいたのか、自分を閉じ込めるようなことをして、その中で安心して暮らしていたいと思っていたか、ということを痛感した。

自分の世界に閉じこもっていれば、「本当はこうしたい」なんてことに気づかないふりをしていれば、「あれも欲しいし、これも欲しい」なんて思ってないふりをしていれば、心が乱れることも、傷つくこともない。挫折も知らずに済む。そういう打算が自分の中にあることや、大きな夢や野心を持つことへの恐れを、はっきりと自覚せざるを得なくなった。

私は本当は、何がしたくて、どういうふうになりたいのだろう? 仕事は? 恋愛は? 自分自身は? まさか40歳を前にして、そんな大学生みたいな悩みに直面するとは思わなかった。

私は、どこまで行きたいのだろうか? 何を望んでいるのだろうか?

自分の欲望の深淵を覗き込むのは怖かった。どうせ叶わない、これまでだってそうだった、と諦め続けてきたものに、もう一度向き合うのは、怖かった。でもそうするしか、あんなパワフルでかっこいい人たちに近づく方法はないのだとわかっていた。

アクセサリー

それまで私は、自分のことを、自立した人間だと思っていた。確かに経済的には自立しているし、自分で自分の生活をやっている。それだけの意味なら自立していると言えるのだろうが、そのさらに上があった。自分の思考の自立だ。

自分の考えは、世間に影響されているし、そこから大きくはずれないようにしていたし、その「普通さ」は、もう仕方のない自分の特性で、だからその「普通さ」を武器にして書こうと思ってやってきていた。

でも、「普通」になんてなりたかったのか。なりたかったわけじゃない。普通じゃないものに憧れて憧れて、届かないから諦めて、持っている「普通」という武器を手に取った、ただそれだけのことだった。それ以降は、人が見ている自分自身の「身の丈」に合わせてきたようなものだ。

自分にできることは、本当にそれしかないのか。それ以上、もっとむちゃくちゃなことはできないのか。たとえ「できない」というのが結論だとしても、ここで何もしないうちに諦めてしまっていいのか。そんなことを考え始めた。

久しぶりに、軸がぐらつくような、自分の足場はここでいいのか、という感覚が生まれた。もっと、どこにでも行けるのではないか。もっと遠くを目指してもいいのではないか。いろんなものを、低く設定しすぎているんじゃないか。でも、どこを目指せばいい? 何を目指せばいい? 私は混乱していた。

多少の自信がついたからそう思い始めたわけじゃない。たぶん、ただ、私は自分がつまらなかったのだ。こんなつまらない自分は嫌だと心から思ったのだった。

そんなことを思っている頃、友達にバカラの新作ジュエリーのお披露目パーティーに誘われた。自分のところには絶対に来ない類の招待だった。以前ならひるんでいたし、何を着ていくか悩んでいたし、どうせ買えないものを見ても、なんて思っていただろう。けど、行こうと思った。行ったほうが面白いし、きっとそこには、純粋でパワフルな人がいる。誘ってくれた友達も、そういうタイプの人だった。

ドレスアップして出かけると、その日はプレス向けの日だったらしく、私はかなり浮いていた。でもそんなことは気にならなかった。この場で一番目立って、それの何が悪いのだろう。気分がいいだけだった。

私は振舞われるおいしいシャンパンと、バジルの入った爽やかなカクテルを飲み干し、絶対に買えないお値段の、世界で10セットしかないという真っ赤なネックレスを試着し、ほかにも好みの指輪やバングルを全部出してもらって片っ端から試着した。着けてみなければわからないし、こんなお値段のものを気安く着けさせてもらえる機会もそうそうない。愛想良く商品を褒めて、パーティーの盛り上がりに協力できるように心がけた。とても楽しいやりとりだったし、友達とも久しぶりに話せて、私はすっかりくつろいでいた。

シューズ

ふとiPhoneを見たら、普段あまり連絡を取り合わない友人の作家からLINEが来ていた。「今、松任谷由実さんと飲んでて、雨宮さんを紹介したいんだけど、来れますか?」。私は段差につまずく程度には酔ってて、外は雨で傘も持ってなくて、滅多に着ないドレスとさっき見たジュエリーのせいでハイになっていた。普通だったら、びびって返信をためらったと思う。でもそのときはすぐに「行きます」と返信し、友達に謝って先に店を出て、タクシーを拾ってまっすぐその店に向かった。

ドキドキした。松任谷由実さんは、私にとって、ただの有名人ではない。小学生の頃からラジオを聴いていたし、心からしびれる歌がいくつもある。昔の歌だけじゃなく、最近もある。エッセイも上手くて、タクシーの中でマニキュアを塗るのが上手かったとか、ガラスを自分で加工してアクセサリーを作っていたというエピソードが強烈に頭の中に残っていた。歌手としては、大好き。でも、何よりも、エッセイや歌から垣間見える松任谷由実という人の美意識に触れてみたかった。

化粧品

タクシーを降りると、静かな住宅街にぽつんとバーがあった。入ると、松任谷由実さんがいた。スパンコールが縫い付けられたシルバーのキャップをかぶってサングラスをかけていて、でもあの声で「あなたが雨宮さん? ここ座ってよ」と、隣のスツールを指した。ノースリーブの、カーキ色の作業着風のオールインワンを、見事に引き締まった身体で着こなしていて、耳には手錠のピアス、襟元にはネジの形のネックレスをしていた。たぶん、高いものではないと思う。「お嬢さんのなんちゃってパンクみたいな感じよね」と松任谷さんは笑った。彼女が持っていたバッグは、迷彩柄の布のCHANELのショルダーバッグで、バッジがいっぱいついていて、マジックで書いたみたいな字で「FEMINISTE MAIS FEMININE」(フェミニストだけどフェミニン)というメッセージが書かれていた。

バッグ

私のような庶民は、有名な人が自分に対等に接してくれただけで「あの人はいい人だ」と言ってしまったりするものだし、そもそもファンなのだから、会えただけで嬉しくて贔屓目で見てしまうものだが、あの夜に会った、こう呼ばせてもらうけれどユーミンは、そんなもんじゃなかった。贔屓目を差し引いて、なんなら歌手という立場や有名人であることも差し引いても、まぎれもなくかっこよかった。聞けば、私の友達の作家と前日に初めて会って「明日も飲もうよ」と誘ってくれたのだそうだ。そして友達が、私の話をしたら「その人いま呼んでよ」と言ったのだという。なんというフットワークの軽さ、スピード感。私がハイな状態じゃなければ、ついていけてなかっただろう。

何気ない会話の端々が、すべてユーミンだった。自慢なんてひとつもしないのに、しびれてしまうほどユーミンだった。いい香りがするので香水は何をお使いなのか尋ねてみると「去年ね、自分の香りを決めたの。ゲランの、本店でしか扱ってないものでね」。

香水は、ひとに真似されたくないものだ。どの香りなのか名前を言わないところも素敵だった。甘すぎず、少しスパイシーで、でもとてもこなれて肌になじんでいる香りだった。

コーヒー

帰って、気が緩んだら泣きそうになった。あんなに憧れていた人に会った。言葉を交わした。ぜんぜんいいこと言えなかったし聞けなかったけど、カウンターに並んで座って話せた。信じられないようなことが、今夜、起きた。

外に出なければ、パーティーに行かなければ、友達が呼んでくれなければ、酔っ払ってタクシーを拾わなければ、こんなことは絶対に起きてない。

私はその夜、眠れなかった。ユーミンがかっこよすぎて眠れなかった。

あんなふうになりたい。あんなふうに、自由でかっこいい、風通しのいい人になりたい。

憧れるなら、最上のものに憧れてもいいんじゃないか。東京の女王に憧れたっていいんじゃないか。自分みたいな小さな人間には、大胆すぎる夢のほうが、きっとちょうどいい。手堅く、そのへんで叶うような夢なんか見てたって、それじゃ何も変わらない。

「香りや雰囲気だけを描けばいいのよ。詳細なディテールとか物語なんて必要ないの」

あの夜は、雨が降っていて、私は緑の光沢のある生地の、肩が出るドレスを着ていた。

忘れない。絶対に忘れない。あんなきらめきに出会うためなら、私はなんだってしよう。

決してためらわない。好きなものは好きと言い、好きな人には好きと言い、嫌いなものは嫌いだとはねのけ、嫌なものは嫌だと言い、欲しいものは手に入れて、自分自身で遊んで、面白そうなことがあればいつでもどこへでも行こう。

そんなことの果てに、何があるのか。少なくとも、今よりはずっとましな自分の姿があるに違いない。