菜の花食堂のささやかな事件簿 碧野圭

MENU1 小松菜の困惑 その2

そして、その週末、無事に工房開きが行われた。大工の山田さんが頑張って、土曜日中に作業を終わらせてくれたのだ。

工房開きはその日の午後一時から五時くらいまで、都合のいい時に来てください、と案内を出したので、ばらばらと人が訪れた。食堂の常連さんや料理教室の生徒さん、それに日頃から取引のある地元の農家さん、以前出店したことのある地元のマルシェの川崎さん、それに先生の姪御さんや税理士の小島さんもやってきた。

次から次へと人が訪れるので、狭い工房には人が入りきらない。その日は二月の終わりとは思えないほど温かく、天気も良かったので、急遽庭に折り畳み式のテーブルと椅子を用意し、工房を見終わった人たちが歓談できるようなスペースを設けた。テーブルに先生手作りのクッキーやレモンケーキなどの焼き菓子と、珈琲と紅茶の入ったポットと紙コップを置き、セルフで取れるようにした。お客さんたちは、そのテーブルを囲むようにして雑談している。
「へえ、わざわざ瓶詰を作るためだけに、ここを作ったんだ」

農家の高崎進一さんが驚いている。
「言ってくれれば、うちの持ち屋で一軒、これくらいの広さのが空いていたのに。古いし、駅から遠いから、借り手がつかなくて困っているんだ。格安で貸してあげたよ」

都市農家なだけに、高崎さんは不動産物件もいくつも所有している。実際のところ、農業の売り上げよりも不動産収入の方が多いらしい。
「あら、それを知ってればねえ。でもまあ、ここは自分の好きなように設計できたし、設備も新しいのを入れたから、満足しているわ」

先生がにこにこしながら相手をしている。先生は高崎さんの作る野菜を気に入っていて、食堂で扱う野菜の大半は高崎さんから仕入れている。同じトマトを作っても、それぞれの農家で味が微妙に違う。それに、人によってこの野菜が得意、というものもある。高崎さんは作る品種の数は多くはないが、それぞれレベルが高いのだ、と先生は言う。
「どんなに上手く料理しても、野菜の新鮮さに勝るものはないわね」

先生と高崎さんはもう二〇年以上ものつきあいだ。菜の花食堂の野菜がおいしいのは、その日の朝採れた野菜を高崎さんが毎日届けてくれるからなのだ。そうした地元の繋がりが、食堂の味を支えている。

一方で、地元のマルシェの実行委員の川崎さんが、
「瓶詰作るなら、ぜひうちのマルシェで売ってください。年に一度の神社で開催するマルシェはまだ先だけど、毎月駅前でやっている小さなマルシェならいつでも大丈夫ですから」

と、言ってくださる。
「それはぜひ。来月のマルシェには参加できるように、品物をストックしておきます」

ほかの人と雑談している先生に替って、私が川崎さんに請け合う。いきなり自分の店やどこかのお店におろすより、まずはマルシェのようなところで売って、地元の人に知ってもらうのはいい手段だ。商品のラインナップや価格帯を試すのにもちょうどいい。

地元っていいな、と思う。料理教室を手伝うようになるまでは地元と言ってもそこは夜帰って、ただ寝るところだった。いまはこうして地元の知り合いも増えた。今日ここを訪れてくださった人のほとんどが、私も知っている人たちだ。ここで生まれ育ったわけでもない私が、こうして受け入れられていることを、とてもありがたく思う。

人が次々入れ替わり立ち替わり訪れ、工房開きは盛況のうちに終わった。
「ありがたいわ。こんな小さな工房なのに、皆さんが気に掛けてくださるなんて」

先生は嬉しそうだ。姪御さんから工房開きのお祝いに、と壁掛けの時計を贈られた。それも嬉しかったのだろう。よけいな飾りのないシンプルな白の時計は、すぐに壁に飾られた。まるで最初からそこにあったように、時計はしっくり納まっている。
「ほんとに、たくさんの人が来てくれましたね。ねえ、香奈さん」

私が話し掛けると、香奈さんはびっくりしたように「えっ」と私の顔を見た。
「ごめんなさい、ちょっとぼんやりして」

香奈さんの顔はちょっと引き攣っている。
「どうしたの? 今日はずっと元気がなかったみたいだけど」

先生に言われるまでもなく、私もそれは感じていた。いつもより口数が少なく、なにか考え事をしているようだった。
「どうしたの? 彼氏が来なかったのを気にしているの?」

元気づけようと思って、私は軽い調子で聞いてみた。
「いえ、あの、今日は職場の方で行事があるので、こちらに来られないのはわかっていたんですけど、でも……」

やはり原因は彼氏のことのようだ。
「どうしたの? 喧嘩でもしたの?」
「喧嘩というほどのことはないんですけど……」
「どういうこと?」

先生の質問に、話そうかどうしようか、ちょっと迷っていたが、
「あの、ささいなことなんですけど、笑わないでくださいね。ほんとに、つまらないことですから」

香奈さんは念押ししてから話始めた。
「ご存じだと思いますが、彼と私は休日によく遠出しているんです。そういう時、たいてい私がお弁当を持って行っていたんです。それを彼も喜んでくれている、と思っていたんですけど……」
「そうじゃなかったの?」
「ええ。実は来週高尾山に登ることになっているんですけど、その時お弁当は持ってこなくてもいい、って彼が言うんです」
「どうして?」
「朝が早いし、わざわざ私が作ってくるのは申し訳ないからって。……いまはどこでも外食できるし、私も食堂の仕事で疲れているだろうから、無理しないでほしいって」

香奈さんの顔は暗い。それはショックだっただろう。彼氏を喜ばせたいと思ってやってきたことなのに、実は迷惑だ、と言われたのも同然だからだ。
「そうだったの。それで元気がなかったのね」
「私は別に無理はしてないし、お弁当を作るのは自分の楽しみだからって言ったんです。それで気まずい感じになって……。『だったらいいけど』って、彼が言うんですけど、その口調がその場を収めるために渋々言ってるって感じが伝わってくるんです。そんなに私のお弁当が嫌だったんだな、とわかって、すごくショックなんです」

それはなかなかキツイ。彼氏にいままでの努力を否定されただけでなく、一生の仕事にしたいと香奈さんが思っている料理作りの腕前までも否定されたことになる。
「信じられない。香奈さんのお弁当が嫌なんて。彼、味音痴じゃないの?」

私が聞くと、香奈さんは即座に否定した。
「そうではないと思います。味付けの微妙な違いもわかる人だし。ふつうの人より敏感なくらいです」
「じゃあ、地方出身で、東京の味付けが合わないとか?」

私は思いついたことを聞いてみた。
「いえ、東京です。高校時代の同級生ですから」
「だったら、味付けがかけ離れているってわけでもなさそうだし……もしかして好き嫌いが多い人?」
「そんなことはないと思う。自分で好き嫌いはない、って公言しているし、いっしょに何か食べた時にも残すのは見たことないし」
「もしかしたら、インスタントじゃないとダメ、とか、味の濃いものじゃないとダメっていうタイプ?」
「そうではないと思う。薄味の方がむしろ好きみたいだし。おかあさんもお忙しかったので近所の手作りのお惣菜やさんはよく利用したそうだけど、冷凍食品やインスタントはなるべく使わないようにしていたんですって」
「だとすると……味覚のバリエーションが狭くて、実は食べたことのない味には抵抗があるとか?」

思いついた疑問を次々ぶつけてみた。
「そういう訳でもないの。以前、蕗と卵と油揚げを使った炊き込みご飯を作ったら、初めて食べたけどおいしいって喜んでくれたし」

蕗の炊き込みご飯、ずいぶん凝ったものを作ったんだな。やっぱり香奈さんは、彼氏のために一生懸命なんだ。
「蕗の味をおいしいって言うなら……味覚がお子様ってわけでもないのね。先生、どう思います?」

私は先生の意見を聞いてみた。
「そうねえ。人の味覚はそれぞれですから……。あせらず、彼の好みを探していけばいいんじゃないかしら」

先生は遠慮がちに言う。
「だけど、どうしてお弁当がダメなのか、私知りたいんです。好きな人を喜ばせることもできないなら、なんのために料理するのかわからなくなってしまう」

どうやら思った以上に香奈さんは思いつめているようだ。
「もしかしたら、お弁当の味ではなく、その行為が重荷なのかも」

ふと思いついたことを言ってみた。お弁当を作るという行為は女子力アピールにも繋がるから、関係を深めたいと思っていない相手から弁当を作られたら、「重い」と感じることもあるだろう。
「それも違うと思います。私たち、結婚も意識していますし、それは彼の方から言い出したことですから」
「そうだったの。おめでとう。お似合いだと思うわ」

確かに、ふたりでいる時は、彼氏の方が香奈さんにベタ惚れ、というように見えた。香奈さんのことが可愛くて仕方ない、そんな風に思っているようだった。お弁当など作られたら、大喜びしそうなタイプに見えるのだが。
「だったら、よけいわからないわね、お弁当を嫌がる理由が」

私は先生の方を向いた。
「先生、やっぱりこれは理由をみつけてあげた方がいいんじゃないですか? このままじゃ香奈さん、可哀想」
「先生お願いします。このままじゃ私、自分の作る料理にも自信を失いそうなんです」

先生は仕方ない、という顔をした。先生は、あまり人のことを詮索したくないのだ。
「じゃあ、ちょっといくつか聞いてもいいかしら」
「はい。なんでも」
「彼は子どもの頃、毎日ローテーションで食事をしていた、って言ってたわね。何を食べていたか、覚えている?」
「はい。月曜日はハンバーグ、火曜日は焼き魚、水曜日は餃子、木曜日はやっぱり魚で、西京漬けとかお刺身とか。金曜日は焼肉、土曜日は天ぷらか鶏のから揚げ、日曜日は鍋とかおでんとかシチューって言ってました。暑い時は冷しゃぶだったり。……いちいち献立を考えるのが面倒だから、子どもが好きなものを中心に組み立てたんだそうです」

香奈さんの記憶力の良さに私は驚いた。好きな人のことだから、しっかり覚えていたのだろうか。
「餃子も手作りだったの?」
「はい。その日は子どもたちも包むのを手伝わされたそうです」
「そう、忙しいなかにもおかあさまはいろいろ工夫されていたのね」
「もちろん、忙しい時は外食したり、近所のお惣菜屋さんから煮物とかローストチキンを買ってこられたそうですけど、なるべくできるところは頑張った、っておかあさまがおっしゃっていました」

もうすでに先方の母親とも面識があるらしい。だったら、彼氏が結婚を意識しているというのも嘘ではないようだ。
「そうなの。だとしたら、あと知りたいのは、香奈さんがいままでどんなお弁当を作って来たのか、ということなんだけど」
「ああ、それでしたら」

香奈さんは自分のスマートフォンを取り出した。
「今までのお弁当を写真に撮って記録しているんです。同じものが被らないように」

そうして、写真のページを開く。
「あら、素敵」

香奈さんのお弁当は見るからにおいしそうだ。ある日のお弁当は豚肉の生姜焼き、蓮根の挟み揚げ、ブロッコリーの塩昆布和え、ポテトサラダ。トマトの紫蘇和え。デザートにはみかん入りの牛乳寒天を作っている。パセリを飾ったり、寒天を苺柄の紙容器に入れたり、美しく見えるように工夫もされている。
「デザートまでちゃんと添えているなんて、偉いわねえ。容器もかわいいし」

さすがの女子力だ。自分はそこまで想いつくことはない。香奈さんは、私の言葉に微笑みを浮かべながら次の写真を見せる。
「これは先週、東京タワーを観に行った時のもの」

麻婆豆腐にから揚げ、焼き茄子、ピーマンの炒め物、卵焼きだ。デザートは杏仁豆腐を用意している。
「この日は中華なのね」
「はい。豆鼓を利かせて、四川風に作りました」
「そう。おいしそうね」
「これはその前に作ったもの」

その時は、カレー風味のタンドリーチキンに豆のサラダ、ミニトマト、インゲンの胡麻和え。デザートには林檎とサツマイモのシナモン煮。

お弁当はどれもおいしそうだ。彩りもきれいだし、ボリュームもある。味だって間違いない。私も何度か香奈さんの作ったものを食べたことがあるが、先生の作るものよりもハーブを利かせたりして、若い人好みの味付けになっている。

それに、さりげなく野菜をたくさん入れているところもいい。栄養バランスもちゃんと考えているのだ。
「このお弁当のどこがダメなんでしょう?」

先生はそれには答えず、じっと写真を見ていたが、
「もしかしたら、もしかするかもしれないわね」

と、つぶやいた。
「何かおわかりになったんですか?」

香奈さんが勢いこんできく。
「うーん、まだ推測だけど。……来週、またお弁当持って行くの?」
「さあ……。彼は『だったらいいけど』って言ってたので、どっちでもいいと思うんですが、本音では嫌がっているみたいだし……」
「一度だけ、試してみますか?」

先生は何か企んでいるような顔をしている。
「えっ?」
「レシピは私が考えるから、それを作って彼に食べさせてもらえる? それで、彼の反応を教えて」
「それは、かまいませんが……」

香奈さんは何がなんだかわからない、という顔をしている。
「どういうことですか?」

私が代わりに質問すると、
「ちょっとした実験よ。彼がお弁当を食べたがらない理由を、これで確認しようと思うの」
「理由って、わかったんですか? どういうことなのでしょう?」

勢いこんで尋ねる私を、先生は柔らかく微笑んで、
「まだ確証はないのよ。私の勘みたいなものだし。……だけど、試してみて、悪いことはない、と思うのよ」
「わかりました。だったら、やってみます」

香奈さんはきっぱり言った。理由はわからなくても、先生の考えに間違いはないだろう、という信頼の現れだ。
「じゃあ、今晩考えて、紙に書いて渡すから、ぜひやってみてね」

先生に言われて、香奈さんは大きくうなずいた。

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