クズの遠吠え カレー沢薫

1「真面目にやっているのに何故評価されないのか、人に嫌われるのか」と悩んでいる人は、真面目系クズの可能性がある

え?まだ 自分のこと クズじゃないと思ってんの?(クソカップ)

もしかして、自分のこと、クズじゃないとでも思っているのか?

その根拠はなんだ。法に触れてないからか、暴力を振るわないからか、下半身のパッキンが緩くないからか、親の年金支給日を「給料日」と呼んでないからか。

確かに上記に該当するものは、わかりやすい、スター性のあるクズであり「KZY(クズ野郎)48」なら、センターを争うタイプのクズである。
そういうキラ星が近くにいると、勘違いしてしまうかもしれない。自分は彼らとは違う人種、つまりクズではないと。

だが、それは間違いなのだ。
クズでないのではなく、ただKZY総選挙圏外なだけで、KZYの一員には違いないのである。
つまり、KZY神セブンに比べて、クズとしてのパフォーマンスが地味なだけなのである。

例えば、数年前に「真面目系クズ」という言葉が爆誕した。
おそらく、人類が生まれたときから存在する人種である。
だが、今まで「コイツ、真面目っちゃ真面目だけど、何か違う気がすんだよな」というモヤモヤした存在だったはずだ。
それが、これ以上ないほどのネーミングセンスで名称化され、定義が出来たというのは、重力、電気、オギノ式に続く大発見である。

真面目系クズとは、その大人しさ、無害さ故に、周囲から「真面目」という評価を受けているが、決して勤勉ではなく、むしろ向上心が皆無で、「真面目」という評価で周囲からノーマークなのをいいことに、人の目がないところでサボりまくっており、トータル的にオーラがあるクズよりも働いていない人間のことである。

これがどう大発見かというと、他ならぬ私自身が、この言葉を目にするまで、自分のことを「どちらかと言うと真面目」と思っていたからだ。
私のことを知る人なら「35年間自分のことを人間と思ってました」と、マンドリルにカミングアウトされたぐらいの衝撃を受けると思うが、自分のことを真面目だと思い込んでいる真面目系クズはかなり存在すると思う。

これは不幸である。
自分のことを真面目と思い込んでいるのだ。そういう人間は、「真面目にやっているのに何故評価されないのか、人に嫌われるのか」と悩んでいるかもしれない。
それに対するアンサーは「A.クズだからです」だが、本人に自覚がないのだ。どうしようもない不遇や不運に見舞われているような気分になってしまう。

それが、自分がクズだと気づくことにより「不運」が「必然」となり、今まで袋小路だった道が開けるのだ「クズなんだから仕方ねえ」と。

何せクズなので、自覚が出来ても「治そう」ではなく、2億パーセントが赤フンダブルピースで「クズです!」と開き直ってしまうのだが、本人的にも、不運で死んだと思うより、今まで自分が埋め続けた地雷で爆死したとわかっていた方が、悔いがないだろう。

真面目系クズの言語化により、多くのクズが自らのクズに気づき、大いに前向きになれたと思う。
しかし世の中にはまだ、それに気づけず、己の不遇を嘆いているクズがいると思う。
だが、それは本人のせいではない。冒頭で言ったとおり、世の中には天才やスーパースターがいる。クズ界も同じだ。
イリュージョンのように子ども手当をFXに消したり、絶対音感を持っているとしか思えぬリズムで老母を殴っている奴がこの世には存在する。

そういう圧倒的パフォーマーを前にしたら、そんじょそこらにクズは自分はマシな人間だと思ってしまうし、周囲も相対的に見てあなたをクズではない、最悪「いい人」と錯覚し、そう接してしまうかもしれない。
だとしたら、勘違いもやむなしだ。凡人は、いつでも天才の輝きに翻弄される。悲しいがクズ界でもそうなのだ。

しかし、そういう天才が去ると、今までスターの光で見えなかった、凡人のクズが見え出すのだ。すると周囲は「こいつ思ったよりいい奴じゃねえな」と気づき、そういう対応をしだす。
それに対し、あなたは混乱するだろう。今まで「いい人」として扱われ、自分でもそう思っていたのだから。

よって、レベルの高いクズのせいで、わかりづらくなってしまっているが、人類全員何らかのクズである。 人間なのだから当たり前だ。ただ種類と規模が違うだけだ。大切なのは、それを治す、治さないではなく、自覚するかどうかである。

そして、自分だけでなく他人のクズに気づくことも必要だ。
他人と比べて劣等感を覚えたり、自分以外は全員立派にやっているように見えるときがあるだろう。
そんなことはないのである。むしろ、他人を勝手に聖人君子にしてはいけない。そういうことをする人間は、相手の欠点を見つけたとき、勝手に裏切られたと言い出すのだ。

だが、全員クズだと思えば、無駄な劣等感を抱かずにすむし、相手も人間なのだと逆に寛容の気持ちが生まれる。
他人を非の打ち所のない良い人と思うのは、相手を認めているのではない、相手の前に高すぎるハードルを勝手に立てただけだ。

これから、様々なクズについて取り上げる。しかし糾弾のためではない。
自ら、そして他人が何クズであるかを理解し、それを許すためである。

しかし、一つも当てはまらないという人は、リアル天上人だと思うので、こんな腐敗した世界に留まらず天に還ったり、逆に全部全部当てはまる人間は、周りへの影響を考慮して、洞窟で暮らす等を検討してもいいかもしれない。