しぶとい女 原田ちあき

Stage2シャーマンとして生きる

原田家の絵にかいたような家庭崩壊

正確な年齢は思い出せないんだけどあれは確か小学5年生頃。
私の反抗期、母親の更年期、そして父の脱サラという最悪のコンボがキマり、原田家は冷戦状態にあった。
家に家族が全員揃っていても誰も口をきかず、ただただ気まずい沈黙だけが空間を支配するのみ。

唯一の良心であった飼い犬も2年前に天へと旅立ち、クッションとなる存在は皆無。
かすがいであるはずの私は当時にしては早めにインターネット環境を与えられており、学校に行く時以外は朝から晩までお絵かき掲示板とチャットを往復する毎日。
しかも当時はまっていた漫画のキャラクターになりきってチャットをしていたため、私の隠れ設定は霊を自在に操ることのできるシャーマンの巫女であった。最悪。

Stage2 シャーマンとして生きる 1

私がネット上でシャーマンとして暗躍していた隣で両親はよく大喧嘩をしていたのだが、私は高尚な巫女(自称)なので我関せずという感じを前面に出し、永遠にキーボードを叩きまくっていた。

さらに最悪な発表をすると私は植物を司る巫女という設定だったため、よくベランダに置いてあるプランターに向けて語りかけたり、アサガオのツルを指にまきつけ「こらこら全く人懐っこいんだから(笑)」みたいな顔をして一人でニヤニヤ笑ったりしていた。

話は少し戻るがその夜、父と母の喧嘩はそこそこ白熱していた。
小学生の我関せず力にはまあまあ限度がある。母の「ちあきはパソコンしすぎ!」という怒りの飛び火をくらってチャットを退室せざるを得なくなってしまった。
しかしまだまだ巫女としてのノルマ(設定)が残っていたため、こっそりとベランダに出た私は星を数えて「地球の空気は淀んでいるわね」的な話をガジュマルに向けて永遠に話しかけていた。
高尚な巫女なら、先ずは家の中の空気の淀みをどうにかするべきだった。

最低な状態にはこれまた最低な状態が重なるもので、私がベランダで「ハァ」とか「フゥ」とか言っているのを興奮状態の母親が見つけ、何を勘違いしたのか母はベランダでたそがれる私に背後から飛びつき「死なないで~!」とワンワン泣いた。
恥ずかしすぎて何も弁解できなかった。(驚くべきことに恥ずかしい事をしているという認識はあったのだ)

私は「やめて!離して!」と誤解を解こうとしたが、より自殺っぽさが加速するのみであった。
父だけがすべての状況を飲み込めていたようで、なにも言わず、静かに自室へと戻っていった。

Stage2 シャーマンとして生きる 2

こんな感じで我が家の歯車は順調に狂いまくって、数年後父は家を出て行くことになり、家も物理的に無くなることになったのだが、家族の空気を悪くしていた責任は誰にあるかと言うと、この場合はそりゃあまあ全員にある。

大人になんて、なれない

時間が経つと「あの時、お父さんの仕事を応援しておけばなあ」とか「お母さんに新しい犬を飼おうよって提案してみたらよかったかもな」とか「私ももっと友達を作って外に出かけていたら何か違っていたかも」とか色々な分岐点に立ち返ってつい妄想してしまう。別に後悔はしていないけど。

歳をとって思ったことは「大人」という生き物はいないと言うことだ。
子供の頃は成長して行くと勝手に大人という生き物になって、しかもそれはすべて正しい方向に導く絶対的なものだと思っていたんだけど、別にそんなことはなかった。
赤ちゃんの延長線に子供時代があったのと同じで、大人は単純に子供の延長線にあるだけなのだ。
私の思い描いていた大人なんてこの世に一人もいないのである。

父と母の喧嘩をみて「なんで大人のくせに間違えるんだろう」と思っていたけど、大人だって間違える時は間違えるのだ。
それで後からそのことを思い出して「ああすればよかった」「こうすればよかった」と布団にくるまりモダモダするのである。
私のシャーマン修行と同じだ。(違うかもしれない)
最悪ではあるがこのモダモダがないと同じ間違いを犯した人の立場に立って考えるということができないのだ。

いま理解できなくて穢らわしいと思った事柄でも、後からその人と同じ立場に陥って「こういう気持ちだったのか」と思うことは生きている限り何度だって訪れるのだ。
それが多い人ほど、何かを許すことができるのかもしれない。

過去に戻って自分に「もうシャーマンはやめな」と言うことはできないが、これから先間違えた人に「軌道さえ修正すれば幾分マシにはなるよ」と言ってあげることはできるし、自分が何かで道を踏み外したとしても「戻れないものは仕方なくない!?!?」と開き直って周りにプレゼンすることはできるのである。

ということを今後自分が何かしでかして世間から叩かれた時用に書き残しておこうと思う。