しぶとい女 原田ちあき

Stage4女の子を好きになった甘い思い出

Stage4 女の子を好きになった甘い思い出

性的マイノリティーに生産性はない?

中学3年生の頃、女の子を好きになった事がある。
当時から今まで、特に変な事だと思っていなかったのでここに書くまで誰にも話したことがない。
自分の気持ちを相手に伝えるつもりも特になかった。私だけが知っている甘い思い出だ。

最近SNSが普及して、いわゆる性的マイノリティをカミングアウトしたり、議論する機会が多くなった。
こんなに「人権」「多様性」「平等」を強調している社会なのに未だに「生産性がない」だとか「馬鹿らしい」などという意見がなされ、それが大きく取り上げられて問題になっている。

今回は私の思う「同性愛」について書いていきたいと思う。
前述した通り、私は今まで同性を好きになる事やトランスジェンダーに関して特に変だと思ったことがない為、勉強不足な部分もあると思うが、とにかくこれは私の意見である。

まず同性を好きになるという事は特別な事ではなく「背の高い人が好き」「痩せている人が好き」「かわいい系の顔が好き」と同じジャンルだと思っている。
「素敵」「キュンと来る」「憧れる」の対象が同性に向かっているだけなのだ。
これまでの教育や歴史がそれぞれの認知をゆがめているだけで、結局は人が人を好きになったことに変わりはない。至ってシンプルな感情だ。

子供を産むことだけが人生のゴールじゃない

前回のコラムにも書いたが「好き」というのは対象の「良い部分」を見つける事が出来たということだ。
そこには嘘はないし、飾りもない。「好き」は「好き」ただそれだけの事なのである。
「好き」には誰にも口を出す権利を持っていない。例え親であっても親友であっても反対の数が大きくても、だ。

人生は楽しくなくてはいけない。
恋に対して「産んで増やすためのただの脳の錯覚」と結論付けてしまうのは単純に面白くないと思う。
だって折角理性があって、感情があって、言葉があるんだから。
駆け引きとか、悶々としたり、よくない結果で泣いてしまう夜があったり、そういう事ができる最高に素敵で面白いものなのに、それを「生産性がない」の一言で片づけるのは勿体ない。

何に生産性を感じるかは人それぞれなのであって、人生のゴールは決して子供を産む事のみではない。それは選択の中の一つだ。

人の幸せをその一点に絞るのは暴力だと思う。
何に恋をして、その後の人生の幸せをどう選択するかは自由なのだ。そしてその幸せを貪欲に掴む権利を誰でも持っている。
普通の恋をする一人の人間であるという事を忘れてはいけないのである。
それは当然の事であって、だから私は同性愛を特別視したことはない。

恋は人生を豊かにするスパイスの一つ、ただそれだけなのだ。
誰の恋もそれぞれ尊く、間違っていない。

恋してる人ってそれだけでかわいいよ。
私はできるだけ全ての人が誰の目も気にせずに自由に恋愛を楽しんで、人生を美味しく楽しめることを願っている。