大和書房 WEB限定連載

言葉が鍛えられる場所 平川克美

第1回 言葉が通じない場所


序 - 無力な言葉について


これから、言葉についてわたしが、経験し、その都度感じたことなどを書いていこうと思います。たぶん、それは「言葉が無力にならざるを得ない場所」をめぐる考察になるはずです。

難しい話ではありませんが、ややこしい話にはなるでしょう。なにしろ、言葉について、言葉で語るということは、結局のところ撞着した考察にならざるをえないでしょうから。クレタ人のエビメニデスが言った「すべてのクレタ人は嘘つきだ」という話は、言葉が持つパラドキシカルな性格を言いあらわしていますが、わたしが興味深いのは、この言葉の性格のなかには、実に豊饒な物語の種子が含まれているということです。その種子から、どれだけたくさんの物語を紡ぎだせるのか、それはわたしにとっては、遊びではなく、かなり切実なことでもありました。


自分の発している言葉というものが、ほんとうに自分が相手に伝えたいことなのか、それともただ、自分の中から湧出してくる感情の連鎖でしかないのか。

相手の応答の言葉は真意を運んでいるのか、それとも相手は何かを隠すために、言葉を用いているのか。

ふつうは、そんなことは考えません。

ある年齢に達すれば、言葉というものの可能性も限界も分かってくるものです。

しかし、経験も知識も不十分な青年期においては、自分が自由に使えるものは言葉しかありません。言葉にすがりつき、それゆえに言葉に裏切られるという体験の繰り返しが、青年期というものの特徴です。

そして、この言葉に裏切られる経験は、言葉は信ずるに足りないという傲慢となり、時に沈黙し、時に必要以上に饒舌になったりする。

二十歳そこそこの青二才であったわたしも、無知と傲慢によって言葉を軽蔑していました。

もう少し厳密に考える必要がありそうだということで、言語学の本も何冊か読んでみました。吉本隆明や、時枝誠記や、三浦つとむや、ソシュールの言語論についてノートをとりながら学習したことがありました。

それで、何かが分かった気になったけれど、ほんとうは何も分かっていませんでした。

言葉についてどれほど勉強しても、実際のコミュニケーションの場においては、いつも何か大きなガラス板のようなものが間に立ちふさがっていて、自分の言葉が相手に届かないという思いは消えることはありませんでした。

この他者との間に挟まっているガラス板は、まるで偏向ガラスのように、わたしの言葉を捻じ曲げて相手に伝え、相手の言葉もまたその意味を歪ませてわたしの心に届けられてくるという思いが去らなかったのです。

どこまでいっても、相手の言葉の核心には触れることができないし、自分の言葉の核心も相手には届かないとすれば、ひとは沈黙を選ぶしかないでしょう。饒舌もまた、戦略的な沈黙と同じです。

そういう時期が、誰にでもあると知るのは、それから何十年か後になってからです。

当時(28歳)わたしは、自分のノートにこの疎隔感についてこんなことを記しています。

 誰でもが通過しなくてはならないこれらの事実の前で言葉はあるとき全く無力なものとならざるを得ないということである。

もってまわったような言い方ですが、それはわたしの性格によるものでしょう。ここで言っている、誰でもが通過しなくてはならないこととは、友人の「死」と、自分の「結婚」と、子どもの「誕生」のことを指しています。当時のわたしにとって、二十歳から三十歳までの十年間に起きたこれらの「事件」について、それをどのように言葉にしたらよいのか、まったく考えあぐねていたのです。病を患って死を前にした友人の前で、わたしは語りかけるべき言葉を失いました。その少し後、出自も生活背景もまったく異なる女性を娶って、わたしは自分の手持ちの言葉が、彼女の前でどれほど無力かを痛感せざるを得ませんでした。そして、まだ言葉を発しない、泣き叫ぶ自分の子どもの前で、わたしはほとんど為すすべがありませんでした。子どもをだっこしながら、わたしは妻と口論を繰り返しました。

 ここでは、ある意味では言葉(想像力・イマージュ)の通りに進行するものは何もないといってよい。なぜなら、これらの事実を謂わば生活の根底をなすものとして見るなら、言葉は無際限に広がってゆく〈観念の世界〉に属しており、生の限定そのものである〈生活〉の中には属していないからだといえるかもしれない。ここで言葉を軽んずるか、沈黙するか、語り続けるかは各人の選択にかかっている。しかし、言葉がとどかぬ領域がありうるという認識は、言葉にとってははじまりにある認識であって、目的ではあるまい。本や旅行から得られる識知や見聞をいくら積んでも言葉が鍛えられるわけではない。言葉が鍛えられるのは、ただ言葉が無力にならざるを得ぬ場所に於いてである。

慧眼の読者は、この文章が吉本隆明の思想の影響に気付くだろうと思います。気恥ずかしいことですが、確かに、あの頃の私は、多くのことをこの思想家に教えてもらい、その生き方に魅了され、その語り口を模倣していたのです。ここで、語られていることもまた、吉本さんが書いたいくつかの章句のパッチワークのようなものになっているに違いありません。

皮肉なことですが、コミュニケーションの不在について書かれた先達の言葉の断片は、確実にわたしに届けられ、わたしの内部に、思想として残留していったのです。

身近なひとの言葉は退けられ、遠くのひとの言葉は届けられる。

これもまた、吉本さんが遠隔対称性という見事な分析によって説明したことでした。

そんなわけで、この先人からの借り物だった思考方法は、その後何十年ものあいだ、自分にとっての、コミュニケーションの規範のようなものになりました。

すでに、三十年以上も昔の、自分の頭脳の中を駆け巡ったひとつの考え方が、その後のわたしを呪縛し続けたのです。

模倣が、自分の中で血肉化するまで三十年が必要だったと、言い換えても良いかもしれません。その三十年とは、まさに言葉が無力にならざるを得ない場所で逡巡した経験が堆積するために必要な時間でもありました。


愛と義務


結婚をしてからの数年間、わたしは女房と何かにつけて言い争いをしたものです。生活環境も、生まれた年代も異なる異性間においては、ひとつひとつの言葉が持つ意味は驚くほど隔たっていました。

そんなことは、結婚する前に気付きそうなものですが、恋愛期間中というのは差異を見るよりは同質性ばかりを探し出すというのは、誰にでもあることですよね。

もちろん、言葉のもっとも単純な部分に関しては、お互いにその意味を共有しているわけです。それがなければ、お互いに意味の分からない外国語で喚きあっているようなもので、そもそも恋愛もなければ付き合いも始まりません。

わたしは女房と、結婚前の数年間はお互いに、自分に必要な人間であると思えるほどには意思の疎通ができていました。いや、できていると思っていました。それが幻想であると分かるまでに多くの時間は必要としませんでした。実際のところ、恋愛とはほとんど幻想であり、惚れた相手というのは、自分が目の前にしている生身の人間というよりは、妄想の中で作り上げてきたいわば理想の女性であり、わたしは自分勝手に作り上げてきた理想の女性と対話していたということなのでしょう。

わたしたちは、ダイアローグ(対話)をしているつもりで、おたがいのモノローグ(独白)を交換していたのです。相手のモノローグを愛おしいと思える時間は、そう長くは続きません。

わたしは、女房になる女を確かに愛していると思っていました。だから結婚したのです。しかし、この「愛している」は、実際の生活のなかではほとんど何の実効も生み出さないことを知ることになりました。

「愛の不毛」なんてことをいいたいわけではありませんよ。

「愛している」と「生活」との間には、目に見えない懸隔が広がっているということです。

実際に生活がはじまると、ほんのささいなことがらにおいてさえ、意見が食い違うことがしばしば起こるものです。意見が食い違うと言いましたが、実際には食い違う以前の問題があるのかもしれません。意見が食い違うためには、その意見に至るロジックが、相手のそれと噛み合わないということがわかるほどには、言葉が通じている必要があります。まわりくどい言い方で申し訳ないのですが、口げんかの原因とは、そういったロジカルな部分にあるわけではなく、むしろ言葉以前の感じ方、価値観が問題だったということです。

それはむしろ、好き嫌いの問題に似ていました。

わたしは、豪華なレストランでの食事よりは、下町の食堂の味を好みます。

瀟洒なマンション住まいなどしてみたいとも思いませんでした。

パリやローマを旅するよりは、岩手や青森の鄙びた温泉旅行をしてみたいと思っていました。だから、新婚旅行は妻が学生時代に生活していたヨーロッパではなく、冬の北海道二泊三日の観光パック旅行を選びました。

別にわたしがストイックだったということではありません。むしろわたしは、自分が浪費家の部類であり、新し物好きな俗物であることを、後年発見することになるのです。

だから、上に書いたようなことは、ただわたしの趣味であり、好き嫌いに過ぎません。

いや、ほんとうは好き嫌いでもなく、わたしは自分がそのような人間でありたいと思っていただけなのかもしれません。吉本さんはこれを自己幻想と言いました。

わたしは、それを自分の好き嫌いであるというように、自分を欺いていたのでしょうか。

その点では、妻はわたしよりも少しだけ自分の欲望に正直でした。

しかし、こういった日常的な部分における感覚の違いは、生活を共にする場合には結構大きな障害になるものなのです。

わたしが、こうしたいと思っているそのすべてにおいて、何故そうしたいかの説明をしなければならないのです。ところが、自分では何故そうなのかをうまく説明できないのです。そもそも、好き嫌いには理由がない。

もしそれでも理由を見つけ出そうとすれば、そこに思想的な問題を引っ張ってきたり、お門違いな倫理問題を援用したりということで、本来の好き嫌いとは全く別の文脈について語り始めることになってしまいます。

こういったちぐはぐな経験を重ねていくなかで、わたしは、日常生活において大切なことは、大きな思想の合意ではなく、些細なことについての共感であると思うようになりました。

そして、少しの義務。


少し前に、わたしが父親の介護に関する本を出版したときに、作家の関川夏央さんが書評を書いてくれた。そのなかに、はっと胸を突く言葉がありました。

「義務は愛よりも信ずるに足る」

「大事より些事が大事」

関川さんが言わんとすることを、わたしは即座に了解しました。

わたしの了解は、関川さんの書評のロジックについての理解というよりは、かれの「言葉に対する悟達」についての了解であったと思います。悟達?

それをうまく説明するのは難しいのですが、わたしはかれの言葉から、「言葉について、躓いたり、傷ついたりした経験を持つ人間だけが到達する場所」について教えてもらった気持ちになったのです。

子どもが父親の介護をするということは、そこに愛があるからではありません。親が子の面倒を見るのは、法律にも書いてある義務です。しかし、通常、子が親の介護をすることは義務だとは思わないかもしれません。しかし、それは法律に書かれてはいない義務なのです。親を介護する子どもは、義務感からしぶしぶ介護に向かうというのが、実際のところでしょう。本音を言えば、なるべくこんな面倒な、労力と時間のかかることはやりたくはありません。避けられるなら避けて通りたいと、誰もが思うのではないでしょうか。

実際のところ、わたしが、父親の介護に就いたのは愛というよりは、義務感からでした。

わたしは、当時、孝行息子だね、お父さん、喜んでいるよと、近隣の方たちから褒められた。しかし、そのことでわたしの苦労が報われるという感じはしませんでした。

しかし、関川さんの「義務は愛よりも信ずるに足る」という言葉を聞いて、二年間の介護生活が報われた気がしたのです。


わたしが父親のためにしていたことは、わたしのなかに生きていた小さな義務感からでした。それは、わたしが引き受けなければならないなにかでした。誰かが、これはお前の義務だと命じたわけではありません。どこかの法律に書かれているわけでもないのです。それでも、それは義務としかいいようのないものであり、どこか遠い過去からわたしの身体の中に入り込み、棲み続けてきたものなのです。

わたしは、その小さな義務を行使しただけです。

権利ではなく、義務の行使。

そこには、言葉はほとんど入り込む余地がありません。あるのは義務と言う名の返礼です。それは、遠い日に受け取った贈与に対する、返礼だったのかもしれません。つまり、極めて個人的なものであると同時に、ひとびとによって繰り返され、受け継がれてきた人類史的な「贈与と返礼」の現代的な儀礼のようなものだということです。

人間の社会の深層には、このような義務が埋め込まれている。

わたしは、そう感じていました。


言葉が必要なのは、言葉が通じない場所


介護の後半、わたしと父親の間にはほとんど会話というものがありませんでした。父親は老いとともに、言葉が少なくなっていきました。それでも、わたしと父親との間には、かれが元気だったころ以上に通じ合うものがありました。いや、実際にはほとんど意思疎通はできなかったのですが、少なくともわたしは、父親が発する小さな信号を聞き逃すまいとしていたように思います。

妻とも、この頃はほとんど言い争いということがなくなりました。お互いに還暦を過ぎて言葉の圭角が取れたのかもしれません。いや、それ以上に、お互いがすこしずつ愛から遠ざかり、義務を果たそうとするようになったのだろうと思います。

実際のところ、相手の言葉のなかから、それで、ほんとうは何がいいたいのかと、相手の声に聞き耳を立てるようになっているのです。

言葉の内容よりも、ヴォイスを聴くということです。

言葉には、それが指し示す意味とはいつも少しずれたところにほんとうに伝えたい事柄が隠れているものです。

場合によっては、言葉はまったく反対の意味を持って発せられます。

愛し合う男女の間で、「あんたなんか大嫌い」と言う言葉には、「あんたが好きで好きでたまらない」という意味が含意されています。

「お前ってやつは、馬鹿なやつだなぁ」と先輩が後輩に言うときに「お前は愛すべきやつだなぁ」という意味が含まれているかもしれません。

言葉の持つ、この両義的な性格はしばしば誤解の種になりますね。

それは、言葉の意味は聞き取れても、相手のヴォイスを聴き取れていないということです。


以前、わたしは自分の会社でひとりの物静かなアメリカ人を雇用したことがありました。かれは、母国で離婚をして、生活を変えるために日本にやってきたのだという。履歴書を見て、わたしはかれが大変優れたプログラマーであり、博士号を持つ男であることを知りました。

実際、一緒に仕事をしてみると、ほとんど天才といえるほどの才能の持ち主だったのです。

わたしはかれと意気投合し、よくオフィスの近くの呑み屋で酒を酌み交わしました。

かれは、慣れない日本語を混ぜながら、英語でわたしに話しかけてきました。わたしは、ブロークンな英語でかれに応答しました。

わたしたちの会話は、ほとんど小学生レベルの会話だったに違いありません。

ただ、ひとつだけ違うことがありました。

わたしたちは、もっと深い所でお互いの考え方を交換したいという思いを常に抱いていました。

わたしは、かれがわたしに伝えたくてうまく伝えられないことがあることを知っており、かれも、わたしには、かれに伝えたくてうまく伝えられないことがあることを知っていたということです。

わたしは、言葉というものの逆説的な効果というものを学んでいたのです。

言葉がうまく通じないその分だけ、思いは通じていたのです。

言葉が通じない分だけ、相手のヴォイスは聴き取れていたということなのです。

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