大和書房 WEB限定連載

言葉が鍛えられる場所 平川克美

第2回 「切なさ」をめぐって


二十年後のシンクロニシティ


まだ、青二才の頃、わたしは夏になると、長野県南安曇郡安曇村を訪ねました。新宿発アルプス11号に乗ると、信州の松本駅には夜中の11時ごろ到着します。

まだ、改築前の木造の松本駅には、登山客が何人もストーブの周囲のベンチで一夜を明かし、翌朝一番の松本電鉄島々線に乗って、新島々という駅に向かいます。のどかな田舎の風景のなかを走るローカル線の終点駅からは、上高地行のバスが出ていました。

わたしは、上高地行には乗らずに、乗り合わせた登山客たちと別れて乗鞍岳行きのバスに乗り込みます。そして番所というところで下車するのですが、そこに、学生時代から通い詰めた民宿「いずみ屋」がありました。

「いずみ屋」では、おじさんとおばさん(とわたしは呼んでいたのですが)夫婦と、三人姉妹がお客さんを迎えてくれます。

最初にわたしが訪ねたときには、一番下の子であるかおりちゃんはまだ4歳か5歳で、わたしが食堂で荷をおろしていると、窓越しに拡がる緑一色のトウモロコシ畑のなかを、赤いTシャツを着た体格の良い若者が、その子を肩車して歩いてくるのが見えました。

絵の中のような光景は、今でも鮮烈に記憶に焼き付けられています。

わたしは毎年夏になると、この民宿を訪ねるようになり、それが二十年続きました。

仕事を始めるようになってから、足が遠のいてしまい、青年期のしびれるような時間を過ごした山間の村のことも、次第に思い出すこともなくなっていきました。

ある日、「いずみ屋」で知り合った友人から、おじさんが死んだという知らせを受け取りました。スーパー林道の工事現場で、削岩機の故障を調べるためにローラーの内部に入っていた時に、スイッチの誤動作でそのまま岩と一緒に砕かれてしまったということでした。

わたしは、おじさんが死んだということよりも、その死に方に絶句しました。


それから瞬く間に二十年が経過しました。

久々に連休がとれたので、わたしは知人の親子を連れて上高地に遊びに行きました。その帰りに、ふとあの村のことを思い出し、ちょっと立ち寄ってみようかという気持ちになりました。知人に、わたしと村の関係を説明して、なつかしい林道をくぐりぬけ、民宿にたどりついた時には、正午を少しまわっていました。信州らしいおだやかな日差しが、道

端の草花に降り注いでいました。

村は昔のまま変わってはいなかったのですが、やはりどこかよそよそしい印象でした。

「いずみ屋」も改装したらしく、玄関も新しくなっていました。

もし、知っている人が誰もいなくなっていたら、と思うとそのまま引き返したいような気持になりましたが、ここまで来たのだからやはり訪ねてみようと砂利道を踏んで玄関の前に進み出ました。

引き戸を開けて「こんにちは」と言ったのですが返答がありません。

もう一度、さらに大きな声で叫ぶと、中から人が出てくる気配がしました。

そして、目の前に、見覚えのある顔が現れたのです。

次女のふみちゃんでした。

わたしと、ふみちゃんの間に、しばらく沈黙の時間が流れました。

「ふみちゃんか?」とわたしがいうと、ふみちゃんが「えー、ヒラカワさん、今、ヒラカワさんの話をしていたんよ」と意外なことを言ったのです。

「嘘だろ、え、本当かよ」

「そー、いまちょうど、ヒラカワさんどうしてるかねって」

こんなことってあるのだろうかとわたしは思いながらも、この不思議な巡り合せに幸福を感じていました。

二十年振りに訪ねたのに、ちょうどわたしが玄関の引き戸を開けたタイミングで、次女のふみちゃんと、長女のさっちゃんがわたしの話をしていたのだという。

しかし、さっちゃんが玄関に現れてこないので、いまちょうどわたしの話をしていたというのは嘘だと、すぐにわかりました。

さっちゃんは、近くにある一ノ瀬牧場のゲストハウスに働きに出ていて留守でした。

それでも、わたしはふみちゃんの嘘がうれしくて、二十年間の空白が一度に埋められたような気持になっていました。

「ところで、おっかさん、どうしてる」とわたしが聞くと、ふみちゃんはちょっと暗い顔になりました。

数年前に、病気がもとで亡くなったということでした。

そうか、おじさんもおばさんももういないのか。

さきほどまでの幸せな気持ちが急速にしぼんでいくのがわかりました。

二十年という時の流れは、すべてを変えてしまう。

山間の村で、以前わたしが知り合った茶店のおばさんも、隣の民宿のご主人も、亡くなってしまったという。

それでも、車でこの村に入ってきた旅行者にとっては、何ひとつ変わらない風景が待ち受けている。

表面は変らないが、内部は常に変転しているのが世の定めというものなのでしょう。

しばらく、昔話をして、わたしは庭で車を止めて待っていた知人のところへ戻りました。

そして、エンジンのキーを差し込み、車を発車させました。

エンジンの音が鳴ると、ふみちゃんは玄関から飛び出してきて、長いこと手を振って見送ってくれました。


「切なさ」の形而上学


帰りの車の中で、ひとつの言葉が浮かんできました。

それは、おばさんの口癖になっていた言葉です。

わたしが、「今日はあまり体調がよくないんで、晩飯は抜きでいいよ」と言ったとき、おばさんはこう言いました。

「ひらかわさん、そんなせつねぇこというなや」

おばさんは、その言葉を本来の意味とは別の意味でもよく使いました。

仕事がうまく捗らないときも、「ああ、せつねぇ」、民宿のお客さんが何かクレームを付けたときも「せつねぇお客だよ」、かわいい犬の頭をなでながら「せつねぇ犬だな」なんて言うのです。

本来の意味と言いましたが、いったいこの「切ない」という言葉の本来の意味はどういうものなのでしょうか。

広辞苑によると

圧迫されて苦しい。胸がしめつけられる思いでつらい。浄瑠璃、大磯虎稚物語「切なき恋は持ちたれど」。「せつない思い」

となっています。これでは、あまりに簡単すぎます。

新明解国語辞典だとこうなります。

自分の置かれた苦しい立場・境遇を打開する道が全く無く、やりきれない気持だ

広辞苑の説明とは若干ニュアンスが違いますが、こちらのほうが確かに「明解」かも知れません。

三省堂大辞林だとこうなります。

① (寂しさ・悲しさ・恋しさなどで)胸がしめつけられるような気持ちだ。つらくやるせない。「切ない胸の内を明かす」
② 大切に思っている。深く心を寄せている。「義経に心ざしの切なき人もあるらん/幸若・清重」
③ 苦しい。肉体的に苦痛だ。「湯を強ひられるも切ないもんだ/咄本・鯛の味噌津」
④ せっぱ詰まった状態である。「詮議つめられ切なく川中に飛び込み/浮世草子・武家義理物語 3」
⑤ 生活が苦しい。「切ないに絹の襦袢でけいこさせ/柳多留 12」

なるほど、だいぶ詳細な説明が出てきました。こういうことなら、おばさんの「せつねぇ」の使い方はまんざら間違いではなさそうです。

「切ない」とは、よいにせよ、悪いにせよ制御不能な過剰な思いを表現しており、かなり広範な場面で使われているようです。


さて、「いずみ屋」を立ち去ったわたしですが、帰りの車の中で、急に胸が締め付けられるような気持がこみ上げて往生しました。懐かしい村に降り立って、なんともいえない幸福な気持ちになり、その直後悲しい知らせを受けて辛い気持ちになり、その場を立ち去るときには、娘さんの振る手をフェンダーミラーで見ながら、ほとんど泣きたいような気持になっていたのだと思います。

切なさは、とても複雑な感情です。

おそらく、それを最もうまく伝えようと思ったら、詩人ならばひとつの詩を書くのだろうと思います。

わたしは、このとき確かに、切ない気持ちで胸がいっぱいになっていました。

これから以後、この山間の村は「切ない場所」としてわたしの中に登録されているのです。

いまでも、長野県南安曇郡安曇村のことを思い出すと、切なさが込み上げてきます。

いや、それは何もこのときの思い出があったからではないでしょう。

青年期のある時期の、切り取られた時間というものは、誰にとっても切ないものです。

それはもはや、どのようにしても取り戻すことのできない時間だからです。

大金を積もうが、学知を積もうが、この時間だけは取り戻すことができません。

しかし、だからといって、それがもうどこにも存在しないということでもありません。

過ぎ去った時間は、まさに「切なさ」の感覚としてわたしたちの内部に蓄積されているわけです。ひとも村も、過ぎ去った過去の時間のなかでは切ない陰影を伴って記憶されています。

わたしたちは、その過去の堆積の上に立っているのであって、未来など何ほどのものでもないとわたしは思うようになりました。

わたしたちとは、わたしたちの過去のことだということです。

つまりは、わたしたちは「切なさ」の上に人生を築き上げているということです。

未来に向けたあかるい言葉など信ずるものかと、思うわけです。


さて、当時わたしが好きだった詩の一節をご紹介して、この文章を締めくくりたいと思います。

堀川正美の「新鮮で苦しみおおい日々」の部分です。

時の締切まぎわでさえ
自分にであえるのはしあわせなやつだ
さけべ。沈黙せよ。幽霊、おれの幽霊
してきたことの総和がおそいかかるとき
おまえもすこしぐらいは出血するか?

『堀川正美詩集』(現代詩文庫29/思潮社)より

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