大和書房 WEB限定連載

言葉が鍛えられる場所 平川克美

第3回 母なるものをめぐって


最も語りにくい話題について語るということ


一昨年、わたしは父親の介護をめぐって一冊の本を上梓しました。父親の介護は一年半続いたのですが、実はその前に母親が大腿骨骨折で入院し、やっと退院というときになったときに子宮頸がんが見つかり、つごう半年ほど介護生活を行うことになったのです。自分が書いた本の中で、母親のことについては簡単な事実報告以外には、ほとんど言及することはありませんでした。

父親については、かなり詳しく、しかも父親の内面の葛藤についてまで踏み込んで書いたのですが、母親について書こうとは思いませんでした。

いや、書こうと思わなかったのではなくて、書けなかったのです。

男の子にとっては、父親は自画像のひとつであり、乗り越えなくてはならない自我を父親の中に投影することになります。

父親に対する尊敬、齟齬、軽蔑、闘争、離反、和解といったアンビバレントな感情の葛藤は、まさに自分自身のアドレッセンス(青春)に対する葛藤であり、そのプロセスを経てはじめてアドレッセンスを脱しておとなになっていくのだろうと思います。

男の子がおとなになるためには、精神的に父親を殺害しなければならない、ということです。殺害なんて言うと、物々しいのですが、そういった劇場的な物語は視点さえ定めてしまえば案外書き易いものなのです。そこには個人的な思いとは次元を異にする、人類史的なひとつの定型があり、古来、父殺しの話型は神話や、小説や、舞台劇のなかに幾度となく描かれてきたわけです。

しかし、母親については、そういった普遍的な物語には回収できないものがあるのですね。

物語にするには、あまりに生々しく、できればそっとしておきたい存在です。

母なるものは常に散文的な物語の背景の中に隠蔽されてきた生ものなのかもしれません。

わたしが、父親の介護の物語を書いている間も、実はつねに母親のことが頭にありました。

ですから、あの本は、父親との介護生活を描きながら、読み返してみれば母親への想いというものがその全編に主張低音のように響いている。

まあ、わたしの意図がうまくいったかどうかは、わかりませんし、こんなことを書いているのも後付けの思い付きなのかもしれませんが。


以前、テレビを観ていたら、野球の野村克也監督が母親について墓前で語る、というシーンに思わず目が釘付けになりました。

「母親は苦労ばっかりで、何の報いもなくて……」というようなことをぼそぼそと呟いて、「どうも、墓前から去り難くて」と言ってしばらく、黙ったまま墓の前に佇んでいました。

この「墓前から去り難い」という言葉が、しばらくわたしのなかに残っていました。

報われることのない苦労を黙々と重ねて逝ってしまったひとというのは、わたしより年長の方たちの共通の母親像なのかもしれません。

その後、このテレビのことは忘れていましたが、ある日、お彼岸のお墓参りに埼玉県にある父母の墓参りに出かけ、墓前にお水、お花とお線香をあげ、手を合わせて立ち去ろうとしたときに、不意に野村監督の言葉が浮かんできたのです。暑さ寒さも彼岸までといいますが、まだ真夏のような太陽が照りつける残暑厳しい日でした。蝉の音を聞きながら、わたしは、「何か、去り難いんだよな」と心の中で呟いていました。

そして、半時間ほど墓の前でボーっとして、「じゃ」と言って立ち去ったのです。

この、去り難いという感覚は、母親について語るときの、唯一の語りうる通路のような気がします。

なにか、正面切って語ろうとすれば、過剰になるか、あるいは言葉が足りないということになる他はないような存在が、母親だということです。

おそらくは、誰にとっても母親は、常にある種の過剰さとして存在しています。

過剰な期待、過剰な愛情、過剰な心配はどんな母親にもある属性なのかもしれません。

一方、それらの過剰さを受け止めるこちら側も、過剰に母親を忌避したり、過剰に思い入れをしたり、過剰に無関心を装ったりするしかない。

生きているうちはうまく距離が取れない。

わたしの世代にはそういった方が多いのではないでしょうか

今のひとはそうでもないのかもしれませんね。

どうなんでしょうか。


とにかく、母親について何かを語ろうとするときには、距離の取り方がよくわからない。

距離を縮めれば、自分のことを際限もなく語ることになるだろうし、距離を取り過ぎれば嘘の物語を語ってしまうことになるような気がするのです。

そんなものを読まされるのは、たまったものではありません。

小説やエッセイの中でも、母親について語られたものはあまり多くはないように思えます。

特に男性作家の場合、母親について語るということにはためらい、とまどいといった感覚が出てきてしまい、どこか語ることを押しとどめる気持ちが働きます。

物語上手の太宰治は、母親について書く代わりに、乳母に仮託して母親的な心情を描写しました。『津軽』に出てくる乳母の描写は、まさに理想化された、空想上の母親です。

映画には「母子もの」は案外多いのですが、それはこのテーマが誰にでも分かり易く、切実であり、興行的にも成功の確率が高かったのでしょう。私の大好きな成瀬巳喜男にも傑作『おかあさん』があります。

『おかあさん』は、無条件な母親賛歌で、観ていてこちらが照れくさくなるほどなのですが、成瀬監督は他の母子ものも何本か撮っていて、母なるものに日本人の典型的な、いや理想化された女性像というものを母親というものに投影していたのでしょうか。

小説においても、映画においても、母親は理想化というフィルターを通して描かれることが多いというのがわたしの印象です。

それ以外の描き方はほとんど困難なように思えます。


詩の中に登場する母の像


ところが、詩の中に出てくる母親はそれらの母親像とは少し趣を異にしています。

通常、詩はダイレクトに心情を吐露したものだと考えられているところもあるようですが、むしろ反対で、詩という形式のなかに、個人的な心情を隠蔽することができるのです。

北原白秋や三木露風の叙情を受け継ぐ極北の詩人、吉田一穂は「母」という珠玉の一篇を残しています。そこでは、実体としての母親なるもののイメージが極限にまで圧搾され、これ以上の純度には耐えられないところまで純化した母のイメージが出現します。

あヽ麗はしい距離(ディスタンス)、
つねに遠のいてゆく風景‥‥
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。

みごとな詩だと思います。ほとんど幾何学の上に現れる母の記号といった趣です。書かれたのは大正15年頃なので、当時の日本人がこの詩をどのように受け止めたのか、よくわからないところもありますが、散文的な母親像とはまったく違った聖堂のイコンのような静謐な母親像がここにはあります。

これだけで、十分だと思わせるものがあります。


一方、山形県米沢で生まれて、農民運動を生きてきた革命詩人である黒田喜夫の『毒虫飼育』の中に出てくる母親は、吉田一穂の作り上げた母のイメージとは対極にある、無知で、土着的で、因習の中を生きているなまなましい母親です。

この詩を読んだとき、わたしは「まったくそうだよな」と妙に納得してしまいました。

目の前に、わたしの母のイメージが重なって二重写しになるような印象でした。

アパートの四畳半で
おふくろが変なことを始めた
おまえもやっと職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
それから青菜を刻んで笊に入れた

その詩はこんなふうに始まります。「おふくろ」が育てようとしているのは、作者の分身である「ぼく」が生まれた年にとっておいた蚕の卵です。「おふくろ」は夜明かしで卵が孵るのを見届けようとしているようです。

翌日、勤めの帰りに「ぼく」が桑の葉の代わりにこまつ菜を買って帰ると、「おふくろ」が「やっと生まれたよ」と言って、笊をかかえて「ぼく」の方へにじりよってきます。

すでにこぼれた一寸ばかりの虫がてんてん座敷を這っている
尺取虫だ
いや土色の肌は似ているが脈動する背に生えている棘状のものが異様だ
三十年秘められてきた妄執の突然変異か
刺されたら半時間で絶命するという近東沙漠の植物に湧くジヒギトリに酷似している
触れたときの恐怖を想ってこわばったが
もういうべきだ
えたいのしれない嗚咽をかんじながら
おかあさん革命は遠く去りました
革命は遠い沙漠の国だけです
この虫は蚕じゃない
この虫は見たこともない
だが嬉しげに笑う鬢のあたりに虫が這っている
肩にまつわって蠢いている
そのまま迫ってきて
革命ってなんだえ
またおまえの夢がもどってきたのかえ

もし未読であれば、是非とも全編をお読みいただきたいのですが、初めてこの詩を読んだときの衝撃を忘れることはできません。わたしがこの詩に触れたのは、大学で学生運動に没頭しているときでした。ここにあるのは、容易には動かしがたい因習的で牢固な現実と、そこから離反して革命を信じている自分への激しい批判です。いったいこの言葉の背後にはどれほどの苦難の体験が堆積しているのかと呆然となったのを覚えています。

六十年前後の政治的な季節のなかで、これほどの自己批判と報われることのない果てしない抵抗への眼差しを、詩の言葉に定着しえた黒田に畏敬の念を禁じえませんでした。

今はすこしだけ、この詩人のやろうとしていたことを冷静に見れるようになりました。

表現はおどろおどろしいのですが、ここに現れる母親像は、ある意味では日本の農村には典型的なものです。

無知と因習が支配する空気の中で、しかし、それゆえにしぶとくもあり、逞しく生きてきた民衆の原像が浮かび上がってきます。

母親とは、ある意味で日本の前近代そのものを、身体の奥底に抱え続けてきた日本人の集合的無意識そのものを体現しているのかもしれません。

わたしにとっての語り難い母親は、吉田一穂が作り出した純化された母なるものの記号と、黒田喜夫が描いた生々しい母親のイメージのあいだのどこかにあって、揺れ動いています。


 詩集<不安と遊撃>より「毒虫飼育」、引用は「現代詩文庫7」思潮社刊 黒田喜夫詩集 1968年2月1日

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