大和書房 WEB限定連載

言葉が鍛えられる場所 平川克美

第9回 国境を越えた文体


愛国心と自我の欲求


国を愛するとはどういうことなのか。あるいは、どういうことでないのか。

日本語は深い、どんな言語よりも美しく、機微に富んでいるといったことを言う人がいる。そう言ってみたい気持ちは誰にでもあるのかもしれない。司馬遼太郎は、こういったお国自慢、地域自慢、自分自慢がナショナリズムというもので、あまり上等なものではないと言っている(『「昭和」という国家』NHKブックス、1999)。

これに対して、国を愛するということ、パトリオティズムの心情はもっと次元の異なるものなのだとも言っている。

おそらく、英語は素晴らしい、他のどんな言語よりも優越していると主張する英米人もいるだろうし、中国語こそ世界で最も古く、格調高い言語であると胸を張る中国人もいるだろう。フランスにも、イタリアにも、スペインにもいるナショナリストは、日本や韓国にいるナショナリストと同型の心情の持ち主だといっても良いと思う。

明治、大正の日本人について、もっとも深く考えてきた司馬の言葉には、単なる文化相対主義以上の、愛国心というものに対する洞察を感じる。

自国の文化の優越性をことさらに持ち上げるものたちは、自分が愛国心の持ち主だと思っているのだろうが、それは愛国心とは無縁の、肥大化した自我を認めてもらいたいという幼児的な欲求に過ぎないということなのだろう。

自分自慢の背後には、コンプレックスが隠れている。自分に対する世間の評価は、もっと高くてしかるべきだという心情は、自分に対する評価は不当に低いので修正されるべきだということに繋がっており、その裏返しの感情が自分自慢になる。これが高じると言われのない他者批判、民族差別へ発展する。

このような心情が、国際社会でリスペクトを受けることはありえない。自分自慢をしたがるものは、常に国際社会を気にかけており、国際社会が不当に自分たちを貶めているのは、国際社会の側にこちらの優越性を理解する度量が不足しているか、あるいは自虐的な歴史観をもった売国的な人間が日本を不当に貶めることをしているからだと主張する。空回りする自分自慢である。

そう主張すればするほど、国際社会はそこに危険なナショナリズム=排外主義の臭いをかぎ分けてしまうことになる。


話を日本語にもどす。確かに、どんな言語も相対化してみれば、それぞれの特徴、長所、深みを持っており、優劣をつけることなどはできないというのは、正論だろう。しかし、日本語使いのひとりとして、これは外国人には理解してもらえないだろうなと思うことがなくはない。

わたしが、よく引き合いに出すのは、職人たちがよく使う、「やりくり」「折り合い」「摺合せ」というようなものづくりの現場から出てきた言葉である。こういった言葉のもつ微妙な綾は容易には翻訳することができないだろうと思ってしまう。英語なら、コミュニケーションとかマネジメントというひとことで済んでしまう事柄だが、日本語になると微妙なニュアンスの違いによって幾つもに枝分かれする。

日本語には、日本人の生活が染着いており、日本人特有の文化、習慣、習俗を理解できなければ理解できない言葉が存在する。

そう思いたい自分がいる。

しかし、おそらくは同様なことが、それぞれの言語、それぞれの文化においても言えるのであり、わたしはまだそのことを知らないだけだということなのだろう。

わたしはまだ、かれらのことをよく知らない。

かれらはまだ、わたしのことをよく知らない。

わたしとかれらは、その知らないということにおいて鏡像的である。

そして、そのよく知らないことを、わたしが知らないのではなく、それは無いのだと読み替えて、夜郎自大な自分自慢をするナショナリストもまた、かれらのなかに鏡像的に存在している。

わたしたちが、国境の向こう側に見るのは、つねにわたしたちの鏡像的存在であり、わたしたちはその鏡像に向かって哀惜の感情や、憎悪の感情を掻き立てる。

このナショナリズムの相対的関係から抜け出すのは、ふつう考えるよりもずっと難しい。

普通は、国境の向こう側にいる人々の言語や文化というものについて、自国のそれとの比較においてしか、その価値を推し量ることができないからだ。

司馬が次元が違うと言うとき、司馬が言う愛国心とは上記の鏡像的な自我を乗り越えたところにしか生まれない人間的感情であることが示唆されている。


リービ英雄が獲得した文体


かれはワシントンDCで育った、日本の古典文学の研究者だったと司馬との対談で言っている。ただ、その研究は他のどんな研究者とも違うかたちで、深められていくことになる。いわば、比較文学という学問的地平のその先に入り込んで、ついにはその学問的対象の中に溶け込んでしまった、ミイラ取りのミイラのような存在。風貌はいかにもアメリカ人であったが、二十代のうちに日本を訪れ、新宿の路地裏を歩き、陋巷(ろうこう)に住み、土着的な言語を操る日本の作家たちと交流するうちに、自分が何ものであるのかというような、自分が自分であることを証明するための立脚点そのものを破壊するような空気を吸い込んでしまう。そして、その自己破壊の毒に冒された中毒患者のような錯乱を生きることになる。そういった時間を潜り抜けた後に、一人の外国文学研究者は、仮説と実証を積み上げて行くような学問的なアプローチではなく、直接にその対象世界を生きる術を獲得してゆく。

そういった方法、いや方法というような実利的な言語感覚とは無縁のところで、かれは日本という国の路地裏から歩きだし、最果ての海岸線を彷徨うのだ。そして、風景がそこに立ちあがってくる瞬間を待ち続ける。まさに、今日廃れきってしまって、誰も顧みなくなった感のある、文学的としかいいようのない態度で国境が隔てた場所に接したのである。

 防風林をぬけてはじめて七里ヶ浜に下りて、歩き出したとき、ぼくは日本の中の「外部」に踏み込んでしまった、という強烈な印象を受けた。そして日本国家にとっては他所者に生まれたのに日本語の文字を書いて自己を表現するようになったぼくは、日本語の文字によって描かれなかった本州の日本海側の北の最果て近くで、二重も三重もの静けさに包まれている、「ビーチ」からよほど遠い、雑草と流木と東アジアのガラクタが足にからみつく、黄色とも薄茶ともつかない砂浜を、日本列島のどんな名所よりも、一人でもっと歩きたい、歩き続けたいという気持ちにかられた。

(『最後の国境への旅』所収、「津軽」より)

かれは、どこからやってきたのか。当初は、星条旗の翻る国からのほとんど偶然の旅行者だったはずである。しかし、かれはもはや異国趣味に興ずる旅行者の一線を遥かに超えてしまった祖国喪失者の風貌をしており、ほとんど異界に迷い込んだ瘋癲(ふうてん)のように風景の中に迷い込んでいる。かれが、この異界の「ビーチ」で座礁した大型船の脇を通り過ぎようとしているとき、その船の錆びたボディに書かれたEAST GULLという船名に目が留まり、思わず日本語で「東のかもめ」と呟いた。

日本の海岸に座礁した外国船だ、という思いが日本語のままで頭の中で響いたとき、日本に体当たりし続けてきた自分の人生の原風景を見せられているような気がした。

司馬遼太郎は、ナショナリズムとは何でないのかということを言っていたが、それは愛国心というものとは次元が違うとしか言ってくれなかった。

リービ英雄という、その経歴も文体も稀有な作家の文章を読んでいると、この次元の異なる愛国心というものが何であるのかについての理解の端緒に触れたような気持になるのだ。

もちろん、アメリカ人であるリービ英雄が、日本の最果ての場所への偏愛を語ることと、愛国心という言葉は似合っていない。しかし、ここにあるのは紛れもなくひとつの「国に対する愛」ではないかと思えてくるのである。もし、そういうものがなければ、異国の言語をあやつって、ひとつの「文体」を獲得するなどということが可能であるはずがない。

明らかに、ここにはわたしたち日本に生まれたものですら持ちえない、いや日本に生まれたがゆえに獲得不能の、わたしたちが知らない日本語の文体というものが息づいている。

 巨大な「かもめ」の下で、小さな人群れが二つも三つも、船体に近づいてはこわごわとしりぞき、砂浜の静寂を破るように、あの暗いようで実は明るい津軽半島の話しことばで、巨大な船体に笑い声が小さくこだましていた。地元の新しい「名物」を指して、地元の大人も子供も笑い声を発していたのだった。
 それはあざけるような笑い声ではなかった。砂浜にこだましていた半島の人々の声からは、むしろ祝祭的な明るさが伝わってきていた。

お国自慢、地域自慢、自分自慢の言葉と、国境の向こう側からやってきた旅行者の言葉のあいだに拡がる径庭が、司馬遼太郎が言った「次元」の意味だとわたしは思う。

リービ英雄が見ていたもの、最果ての「ビーチ」に打ち上げられた巨大な船体に重ねられるように見えてきたものが「ねぶた」であったというこの挿話がわたしたちに伝えてくれるものは、まさしくわたしたちが知らなかった日本語の世界である。

国を愛するというような抽象的な言葉は、ほんとうはどんな意味も結ばない。ただ、この異邦からやってきた文学者の孤独を自分の孤独に重ね合わせるようにして、ひとつの国の奥深くに入っていくことはできる。

現代の渡来人として、リービ英雄は、お国自慢ということとは異なる次元で、自分の国を発見するとはどういうことなのかを教えてくれる。

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