大和書房 WEB限定連載

見えないものとの対話 平川克美

第6回 鳥の囀り、クジラの嘆き、死者の呟き
    ―あるいは藤井貞和の読解


まやかしの言語に対抗するもの

自分が連載している雑誌(*1)で、詩の特集を組むことになり、わたしは責任編集者として関わることになった。編集者として雑誌に関わるのは、初めてのことであり何をどうすれば良いのかよくわからない。まずは、編集長と話をすることになった。
 これはという詩人10人に書き下ろしの詩を書いてもらい、批評家4人に詩論を書いてもらおうという企画である。あとは、道先案内としての対談も必要だろうということになった。
 わたしは、敬愛する詩人の小池昌代さんに連絡して、相談に乗ってもらえないかと頼んだ。当初、小池さんは躊躇していたのだが、程なく、快諾のお返事をいただき、早速巻頭の対談が実現することになった。
 さて、出版界の事情は、惨憺たるものがあって、この20年間でマーケットはほぼ半減の状態である。この国の人々が本を読まなくなったのか。それとも、マンガや雑誌がインターネットへと場を移した結果なのか、よくわからない。書店の経営はかなり厳しいらしく、街からポツリポツリと書店が姿を消していっている。街にとって、書店の無くなると言うことは、商店街から競合店舗が一つ消えたと言う以上の意味を持つだろう。町を家に例えるなら、家から書棚が消えたようなものである。書店は、文化資本とも言うべき町の資産であったのだ。出版科学研究所の調査によると、市場規模はピークだった1996年の約52%まで縮小しているのだという。出版のピーク時は、漫画雑誌が隆盛で、『少年ジャンプ』や『少年チャンピオン』は数百万部の売り上げがあった。文芸の単行本は5万部も売れれば大ヒットなので、二桁ぐらいスケールが違う。当時は、一般の大人向け雑誌もよく売れており、通勤電車の中で、吊革につかまりながら『週刊ポスト』や『週刊文春』を読むサラリーマンをよく見かけた。

話を戻そう。詩集は、出版ブームの折でさえ、もっとも売れない部類の本であった。
 わたしと同年代の詩人たちは、当然のことながら詩では食べては行けず、大学や予備校の教師や、アルバイトで糊口を凌ぐという状態だっただろう。だから、多くの詩人たちがその戦線を離脱していったことに対して、いかなる意味においても責められる筋合いはない。それでも、今に至るまで継続して読むに価する言葉を紡ぎ続けている詩人たちがいる。このことがどれほどの忍耐と絶望を必要としているのか、詩人ではないわたしにはよくわからないところがある。ただ、わたしはかつて読むことに熱中した現代詩の前線が、出版不況、活字離れという時代においてもなお、その隊列を維持し続けているのか、それとも、もはや詩は極めて個人的な営為のまま孤立した存在になっているのかだけは、確かめておきたいと思ったのである。持って回った言い回しをして申し訳ない。
 「どんな時代においても、最も意地を張り通すのが詩人だった」と言いたかったのである。もしそうでなければ、姿を見せぬ小鳥の囀りや、深い海を泳ぐクジラの嘆きや、戦争や震災・大津波で亡くなった死者たちの呟きを、誰が真実の言葉に変換してくれるだろう。
 わたしは、小池昌代さんのアドバイスを受けながら(というのは、最新の若い書き手に関してはほとんどわたしは何も知らなかったから)、書き下ろしていただきたい詩人たちのリストを作り、メールをお送りした。
そして、そこにはこんなことを書いた。

 2018年を後の時代に回想するなら、おそらくは、「嘘」が大手を振ってまかり通る時代だったということになるだろうと思います。
 現代とは、まさにフェイク・ニュースの時代であり、ジョージ・オーウェルが『1984』で描き出した二重思考やニュースピークという権力者による誤魔化しの言語運用が現実化した時代であるだろうと思います。それが、戦後の一世紀近い歴史の中で、言葉が最もないがしろにされた時代だったと回想されるだろうという理由です。
 このまやかしの言語に対抗することができるのは、どんな言語なのでしょうか。
 戦後、仲間を戦争で失った一群の青年たちは、自らを死者の「遺言執行人」として位置づけ、戦後という「荒地」を生きていく指針となるような言葉を紡ぎ出しました。あるいは、シベリアの捕虜収容所から帰還したひとりの詩人は、自ら単独者の道を選び取り、石に刻み込まれた墓碑銘のような強固な言葉を残して去っていきました。
 かれら現代詩の先駆者のあとに、若い詩人たちが続き、言葉は次第に自由の地平を拡げていったのは確かだろうと思います。しかし、いかなるものも時間による風化を免れることはできません。いまも、多くの詩人たちが言葉を発し続けてはいますが、現実はそうした個人の言葉遣いを遥かに超えて進んでいっているようにも思えます。
 この度、雑誌『望星』では、言葉がないがしろにされる時代において、いま一度「詩」の可能性について考えてみたいという願いを込めて、詩の特集を組んでみました。

ほどなく、詩人たちから作品が届き始めた。それは、編集部においても、わたし自身においてもちょっとした驚きであった。


一筋縄ではいかない

散文を書くことを仕事としているわたしにとって、何かを書くということがどういう作業で、そこにどんな困難があり、どんな愉悦があり(あまりないですが)、どんな制御が必要なのかはだいたい見当がついている。そうでなければ、プロの物書きとしては、おそらくやってはいけないはずである。制限字数と、テーマが与えられれば、およそどのくらいの時間で書き上げられるかの見当もつく。
 単行本一冊分と言われると、そう簡単ではないが、雑誌の連載程度ならいくつかを掛け持ちでやっていても、何とかなる。その程度の最低限の肺活量がなければ、物書きとしてはやっていけないのだ。だが、詩の場合はどうだろう。
 詩も、わたし(たち)が通常そうしているように、デスクの前でひねり出そうと思えばひねり出せるものなのだろうか。
 よく、「言葉が到来する」とか「降りてくる」なんていうことを聞くが、そういうものだとすれば、力技でひねり出すようなものでもない気がしていた。
 ところが、いざ蓋を開けてみたら、詩人たちは律儀に原稿をあげてきてくれ、詩論を依頼した作家からは締切日になっても原稿が届かなかった。(まあ、これは依頼した相手の書き手によるわけであり、締切日を守らない書き手との駆け引きもまた編集者の妙味というものなのかもしれない。)
 そんなわけで、11編の書き下ろしの詩が、わたしの予想を超えるスピード感で集まってきたのだ。一読して、わたしも、担当編集者も驚喜した。いずれの作品も、こちらの期待を超える濃密な世界を描き出してくれるものだったからである。

集まった11編の作品を何度も読み返したのだが、その中でわたしにとって特に印象的な作品は、最も難解な作品であった。作者は、藤井貞和。詩のタイトルは「無季」。
 いったい、この詩はどう読めばよいのだろう。
 もちろん、作者はあの藤井貞和であるから、一筋縄ではいかないことは承知の上である。
それでも、この詩には語りたくなることがたくさん出てくるのである。
 その詩はこんな風に始まる。

流れつく海岸の句集は、
どこで生まれたの?
あかちゃん俳句。 投げ出された海岸で、
ほんだわらを食べ、
はすのはかしぱんに会い、
ふなむしのゲームで大騒ぎ。
あかちゃんの句集がすくすくと、
だんだん 社会派の詩の
様相を呈し、
子規と虚子とのあいだ、
ふたつのはしらに挟まれ、
無季はかなしいね。

うーむ。これは一体? 
 多くの読者は最初、戸惑うだろう。ねえ、藤井サン、「あかちゃん俳句」って何なの。「子規と虚子との間」とは何を意味しているの?
 そう問いたくなるだろう。
「あかちゃん俳句」の三つの可能性は以下のごとくである。

1)あかちゃんについて詠まれた俳句
 2)あかちゃんが詠んだ俳句
 3)そもそもあかちゃんのように生まれたままの俳句

なるほど。ツイッターによる詩のつぶやき、叫び、それもこのカテゴリーに入るかもしれない。
 しかし、それが分かったとしても、この詩を理解するのは難しい。誰か分かるように説明してくれないだろうか。
 けれども、もし詩の中の一つ一つの言葉を別の散文的な言葉で説明できるのなら、詩なんかいらないかもしれない。散文だけでメッセージは十分に伝わるはずだから。詩は、その意味ではメッセージを伝える(もちろんそれもあるだろう)だけの芸術ではない。音楽が、一つ一つの音符の連なりによってできているように、詩もまた、一つ一つの言葉の連なりによって何かを響かせている。一つ一つの音符に意味がないように、一つ一つの言葉は、ただそこに、投げ出されるように配置され、言葉による言葉にならない何かを響かせている。


胸に突き刺さる最後の1行

それでも敢えて解釈を試みたくなる。
 藤井貞和の詩のありようが、読むものにそれを要請してくるのである。
 赤ちゃん句集は、「子規と虚子の間に挟まれ」て社会派の様相を呈してくると書かれている。つまりは、子規やその弟子である虚子が切り開いた写実主義的な定型俳句の世界の狭間に、もう一つの表現である自由詩が生まれ出ようとしていると言うことである。
 であるなら、この作品は詩の受難がテーマだということになるだろう。
 いや、急いではいけない。この作品は、もっと込み入った構造になっているように思える。
 第二連は以下のように続いてゆく。

季節が生まれる、
ぼくらの句集の若草に、
掛けぶとんを掛ける。
お寝み、春は終わるよ。
すや すや あかちゃん。
月の光も はつかねずみも眠る。
夏草の 跳ねぶとん、
よぞらのベッドのうえで、
跳ねる子ジカの一句。
それでも眠る枯れ草の 敷きぶとん秋。
野のかぎあなをあけて、
まだまだ足りない眠りです、お寝み。

この第二連で、唐突に「ぼくら」が出てくる。
「ぼくら」とは誰なのか。
 またいくつかの可能な解釈のリストを作ってみる。

1)擬人化された句集そのもの
 2)句集の作者
 3)この詩の作者である藤井さん
 4)句集でも、その作者でも、藤井さんでもない誰か

まるで、映画『第三の男』(*2)みたいに、この詩には『第四の男』が隠されているのかも知れない。
 第一連の最初に出てくる疑問「流れつく海岸の句集は、どこで生まれたの?」という問いを発したのが、「ぼくら」だと解釈すれば、この『ぼくら』は海岸に漂着した一冊の句集を目撃しているものたちである。まさに『第四の男』だ。
 この海岸に佇む『第四の男』たちの眼前で、海風によってめくられた頁から、句が飛び出してくる。
 ほとんど童話的と言っても良いほどの、好日的な風景が展開し、あかちゃん俳句の上に季節が生まれる。ここにあるのは、ありえたかも知れない理想のあかちゃん俳句である。
 ところが、第三連では、思わぬ展開を示すことになる。

あかちゃんの句集に、
やがてやって来る、
人生のあらなみ、たたかい。
幽鬼も お墓も、
無季ではいられない、
くもんの五七五。
いなくなるともだち。
もう、海へ帰りたいね。
押し花を散らせて、
句集をのこして、
さよなら、さよなら、
ぼくらを二度殺したのはだれ?

最後の一行が、わたしの胸に突き刺さる。誰もが驚く一行である。
 と、ここで、わたしが雑誌への寄稿を依頼した時のメールを振り返ってみる。「2018年を後の時代に回想するなら、おそらくは、「嘘」が大手を振ってまかり通る時代だった」と書いたのだった。この短文を書いている時、わたしはかなり明確に、東日本大震災と原発事故、そしてそれ以後も無反省に続いている政治状況を意識していた。それは、詩人たちに伝わったのかも知れなかった。
 というのは、何人かの詩人たちが3.11を意識した作品を寄稿してくれたからである。それは、思っていたよりもずっと多かった。
 ひょっとしたら、藤井貞和の「無季」も、わたしが発した問いへの答えだった可能性はないのか。
 そう考えて、もう一度最初から、この作品を読み返してみる。
「海岸」とは、大津波にさらわれたあの「海岸」。
 海岸には、逃げ場を失ったオモチャ、文房具、生活用品が不規則に散らばっている。
「ぼくら」とは、すでにこの世から失われたものたちのことだ。
 全くの見当違いということもありうるかも知れないが、そんな風に、この詩を読み解くこともできるはずである。
 伝達を目的とした散文は、多様な解釈を許せば曖昧なものになるだろう。
 しかし、詩ははなから、読む人の数だけの解釈を許している。絵画や、音楽のように。
 そう思う。



*1 『望星』10月号(東海大学出版部)
 *2 『第三の男』1949年イギリス映画。キャロル・リード監督。

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