「できない人」は説明してもできない
ネットの時代ってひとつ大きな変化はさ、いままでは聞こえなかった
声がもろに聞こえるようになったってことがある。紙媒体だって、いろ
んなフィルターで取捨選択されて活字になってたわけでしょう。これま
ではそういう取捨選択した情報が流通していたけど、いまはまったくダ
ダ洩れで、すべてのものが目に触れるようになった。昔は取捨選択され
ていた新聞の投書とかがそのまま全部掲載されているような状態。ただ
でさえあのレベルの新聞の投書が、採用されなかったのまで載っている
というのはすごい状態だよ。
誰でも意見が言えるようになったって言うと聞こえはいいんだけど、
やっぱりすべてのことにはいい面と悪い面がある。能とかは完全に師弟
関係が確立されていて、そもそも師匠に質問することすらできない。な
ぜなら質問すること自体、そのものをわかっていない人の側に引き寄せ
てしまうものだから。その質問に対して答えても、それはわかっていな
いレベルでの答えでしかない。だから「質問せずに、ひたすら師匠の言
うことを聞け。わかってなくても聞け」ってことになる。そのうちにだ
んだんわかってくる。
「わかってくる」って言ったって、学校的に「わかる」わけじゃないか
ら、わかるようになったその人が、かつてわからなかった自分が抱いた
質問に答えられるようになるわけじゃない。わからなかった自分なんか、
どっかに消えちゃうんだよ。伝統工芸とか大工とか左官の世界はそうだ
ったと思うんだよ。
だけどそれがほとんどの世界で、ちゃんと質問に答えていくってやり
方になっている。そうやって入門者を逃がさない。そうしてサービスし
ていないと、現に入門者がいなくなって崩れていく世界もあったんだろ
うと思う。
でも、そうすると師匠とか親方とかの地位がずっと下落して、目指す
べき習熟度というか、たとえば名人と呼ばれるための習熟度が低くなっ
ていってしまう。入門者に答えようとするために。
やっぱり伝統的な世界、あるいは大工とか料理人とかでも、それは技
術じゃなかったのかもしれない。いまわれわれは全部技術だって捉えて
るけど、そうじゃないのかもしれない。能とか歌舞伎の名人に聞くと、
それは技術じゃないって言うと思うんだよ。呼吸とか立ち方とか、最後
はそういうところに行き着くんじゃないかな。
教わるのは一応技術なんだけど、それを技術だけだと思っている人は
呼吸とか立ち方とかがよくならない。だから弟子入りしたら、最初の1
年間は雑巾がけだけだったりした。それが伝統的な世界では意味があっ
たんだよ。でも、それでは裾野が広がらない、人材が確保できないから、
入門者にやさしくなって全体のレベルが低下していった。
だって名人にその技術を全部論理的に説明してくれ、客観的に説明し
てくれって言っても、説明しきれるわけないじゃない。天性の適性だっ
てあるしさ。このことは「なんでも平等がいい」って発想とつながって
るんだよ。なんでも網目を細かくしていけば、全員それができるみたい
な考え方。でも、そんなことはあり得ない。たとえば猫の血管から血を
採るってけっこう大変なんだよ。猫の血管って細くて。だからこうやっ
て縛って血管を膨らませたり、血管がわかるようにそこだけ毛を剃ると
かいろんなことをしても何度も刺し間違ったりしちゃう獣医もいる。で
も、ほんとうにすごい獣医さんっているんだよ。友だちがその獣医さん
にかかってたんだけど、こうやって前もってスーッと一度軽くそのあた
りを触るだけで、もう次、スッと刺せちゃう。動物も最初から全然怖が
ってない。その病院の中で小鳥が逃げちゃったことがあったらしいんだ
けど、その先生がパッと手を出したらそこに止まったって(笑)。そう
いうドリトル先生みたいな人がいるんだよ、そういう天性の才能のある
人が。
「殺す」の強さ、「寝る」の弱さ
――文章の世界でも、天性の才能のあるなしということは感じられま
すか?
保坂文章はね、散文のリズム感っていうのがあるかどうかって話な
の。散文としてのリズムね。
いちばん広い漠然とした意味でのリズム感なんだけど、そのリズム感
は韻文と全然違って、文字数じゃないわけね。でも、日本語の韻律の数
え方って、考えてみるとよくわからないんだよ。英語の音節の数え方と
はまったく違う。俳句とか短歌みたいに一語一語を数えていくのは、あ
れはほんとうに韻律なのかっていうのがすでに疑問でさ。あれは乗せる
ように読んでるだけじゃない? 俳句は、5・7・5じゃなくて、8・
8・8だという考え方もあるらしいんだよ。
「古池や」って読むでしょ。で、そのあとに間をあけるでしょ。その間
で時間を調節して、5・7・5のすべてが8・8・8になるようにして
るんだって。僕にはある意味そのほうがわかりやすい。日本語の文字を
英語風の音節で計算すると全然違うことになって、俳句を3つ並べれば
3つとも音節の数、バラバラだよね。
その音節も長いと短いとがあるから、いよいよわからない。散文のリ
ズムっていうのは、そういう英語でいう音節のスタイルのほうだよね。
あとはその人の育ちというか、方言の混じったイントネーションとか、
その人のキャラクターやしゃべり方の強弱とかも入り交じってくる。
まあ、それにしても、非常にリズムの感じられない人はいるよね。そ
のリズムっていうのは、文章だからもちろん内容とも関わってくる。
「血」とか「殺す」とかって言葉のイメージよりは「寝る」って言葉の
イメージのほうが弱いとか、「空」と「灰皿」みたいな、イメージの広
がるのと狭いのとがあったりして、そういうのが全部関わって全体のリ
ズム感、イメージのリズム感になるんだと思う。
だから読んでいてリズム感が悪いなと思う人は、書いてることが退屈
なの。そこでイメージが動かない。一人どうしても退屈な作家がいて、
普通は退屈なのなんて読まなくていいんだけど、変なことから付き合い
が生まれちゃってさ。僕が勤めていたカルチャーセンターの先生になっ
たんだよ。担当者だから、しょうがないから読むでしょう。つまんなく
てさ。読んでる間、僕が文句ばっかり言ってるって彼女が言ってたよ。
ずっと怒ってるって。
ある編集者がパーティでその作家に会ったら、その人が「いま、こう
いう話を書こうと思ってるんだけど」って言って、ざーっと筋を言った
んだって。書く前に筋を言う時点で駄目なんだけど。それを聞いた編集
者が、「その話、70枚くらいでカチッとまとまったらおもしろそうで
すね」って言ったら、その作家が「バカ、300枚だよ」って(笑)。
――退屈というのは、テンポよく読み進められないという感じなんで
すか?
保坂やっぱりイメージが平板なんだよ。たとえば、不倫をしている
男が若い女の子に向かってちょっと人生の深淵をのぞかせるような話を
するって場面で、カマキリはメスがオスを食い殺すなんて話をしゃべら
せたらもう駄目じゃない? 中学生でも知ってるようなことを。そんな
ことを平気でやっちゃうとかね。
「才能がある」とはどういうことか?
それでこないだおもしろいと思ったのは、「ソングライターズ」って
番組あるでしょう。作詞家とかをゲストに呼ぶ、俺と同い年ぐらいのロ
ッカーが司会の。
――佐野元春さん。
保坂そう。それで、そのゲストの作詞家が生徒たちに詞を書かせる
って回があって。題材に、表参道のいちばん大きい交差点で、人がバラ
バラ渡っているところを上から撮った写真を見せて、これで詞を書きな
さいって言ったの。それ、次週までにってことだったんだけど、こっち
も1週間、そのことが何回か頭をよぎるじゃん。でも、そのバラバラ人
が渡っていくところを詞にするっていうと、「これとこれぐらいしか考
えないけどな」って思ってさ。うつむいてる人がいて、なんか自分でイ
ケてると思ってるような人がいて、そういう人たちが交差点で交わって
とか、そんなぐらいしか考えない。
それで次の週見たら、その作詞家がいい作品として選んだのは、やっ
ぱり全然違う詞だった。だけどこれ、詞を書けって言われたから、僕も
こうなったわけでしょう。その2週目にいろいろ出てきた詞を見たとき
に、あっと思って、「俺もこれをもとに小説を書けって言われたら、も
っとちゃんと考えたな」って思った。
「詞」って言われた瞬間に、自分の考えがこんなに狭まっちゃう。ここ
だけになっちゃう。でも、「これで小説を」って言われると、そうはな
らないわけでしょう。バーッてもっと考えが広がっていって。
だからそれが、僕は小説っていうことなんだよ。他の人にとっては詞
だったり、あるいはアニメーションだったり、いろんなことになるわけ
で。ひとつのきっかけを与えられたときに、いろんなことを考えられる
人がプロであったり、その適性があったりするんだよね、きっと。やっ
ぱり適性がないとか、受け手一辺倒にしか接していない僕にとっての詞
のようなものは、きっかけを与えられても何も考えない。詞って言われ
たときに、「これが小説だったら」とすら、その1週間考えなかったん
だよ。そこに驚いたの。
どうやって「手を読む」のか?
駄目な小説の話に戻るけども、駄目な人っていうのは、そういう通り
いっぺんのことしか考えない。それと前に進まなくなったときに、そこ
でどれだけ長く考えられるかなんだよ。そう考えるようになったのは、
将棋の大山康晴の話を聞いてからなんだけど。
テレビの将棋対局で大山康晴の弟子が出てたんだけど、その人、30
歳くらいで六段でさ。弟子っていっても、それを見たのは僕がまだ20
代のころだから、僕よりは年上の人。
それくらいの歳で六段っていったら、順調にいけば最後には名人戦と
かまで行けるようなそこそこ良いってところ。でも、アナウンサーが大
山に、その人についてコメントを求めたら、大山が「彼は長考ができな
い」って言ったんだよ。腰を据えて考えなきゃいけないところでもつい
指しちゃうって。
あと、僕は学生時代に参考書会社でバイトしてたんだけど、そこの社
長が朝日アマ名人だったんだよね。中村さんっていう人。社員旅行のと
き、ひまだったからその中村さんが「保坂君、将棋指せるんだったら指
そうよ」って言ってきて将棋を指すことになった。それで指したら、あ
っという間にボロカスにやられたんだけど、そのとき聞いてみたんだよ、
「手を読むって、どうやって読むんですか。どんどん読めるんですか」
って。そしたら中村さんは「手なんか読むの大変だよ」って。「読むの
大変だけど、じっと我慢して読むんだよ」って(笑)。それで、ああ、
強い人ってそうなんだなって思った。
だから、すぐ答えが早見えする人とか、当意即妙に長けた人のことを
頭の回転が速いとか賢いとかっていうけど、それは頭の働きの一面でし
かないんだよね。
なんでセンター試験はあんなに平等にこだわるのかって話をしたけど、
能力のはかり方自体、不平等でさ。3日考えられる人とか3カ月同じこ
とを考え続けられる人の能力ははかれない。ひとつの問題に対して15
分以内に考えられるようなことしか試験やってないんだから、それ自体
不平等なんだよ。