HOME > Web限定連載 > 優柔不断なコメンテーター<香山リカ>

Web限定連載

優柔不断なコメンテーター<香山リカ>
イラスト:©益田ミリ

第82回 「母に支配される娘」の不思議な感覚

 2011年に起きた大震災。
 この未曽有の災害は、母と娘の関係にもいろいろな影響を与えたようだ。もちろん、そ
の影響にはプラスのものもあれば、マイナスのものもある。

 いわゆるアラフォーでシングルのマスミさんの場合、震災は母親への失望を再確認させ
られるものだった、と言う。マスミさんの実家は首都圏にあるが、職場までの通勤を考え
て、ひとりで都心に近いマンションに住んでいる。
 震災の当日、マスミさんは職場からマンションまで、2時間かけて歩いて帰った。その
あいだは緊張で恐怖も感じなかったと言うが、マンションがあるあたりは液状化しており、
道路が水びたしになったり塀が傾いたりしていた。マンションのガスや水道も止まってい
て、住民はかろうじで水が出るという公園のトイレを利用することになった。
「夜になっても余震が止まらないし、何分も夜道を歩いてトイレに行かなきゃならないし
…」
 次の週、診察室に来たマスミさんは、その夜のことを思い出したのか、涙ぐみながら恐
怖体験の話をした。

 マスミさんが受診したのは、その夜のトラウマを消し去りたかったからなのだろうか。
それはどうも違う、ということが話をするうちにわかってきた。
「これだけの災害ですから、自分が不自由な思いをするのは、仕方ないと思うんですよ。
それよりも…」
 マスミさんの顔がいちだんと曇った。
「問題は、実家の母親が私のことを全然、心配してくれないことなんです」

 実家は幸い、それほどの被害を受けなかった。しかしそのせいか、住まいのあたりが液
状化したと言っても、電話口の母親はピンと来ていないようだった、とマスミさんは言う。
「電話が通じたのは夜、遅くだったのですが、何かと過保護な両親のことだから、車で迎
えに来てくれるかと思っていたのに、そういう様子もなさそうでした。
“ウチのほうは道路もガタガタ、水も出なくてトイレも使えない”と言っても、“まあ、
津波が来たわけじゃないんだから、そのうち元に戻るでしょ”なんて言うんです。“余震
がひどくて”と言うと、“こっちも相当よ”と返されました。
 母はふだんは、こうしなさい、ああしなさい、と遠くから指図してくるくせに、どうし
てこういうときだけ、“大人なんだし大丈夫でしょう”なんてタカをくくっていられるん
でしょうか。過保護なら過保護らしく、それを徹底させてほしい」

 震災発生後、まだ間もない時期で気持ちも混乱していたせいか、マスミさんは「過保護
にしてもらいたい」とまで言った。ふだんは子ども扱いするのに、肝心なときだけ「もう
大人だから」と突き放す姿勢がマスミさんには納得できないのだった。
 支配的に振る舞う母親のもとであれこれ不満を言いながらもそれに従う生活が、マスミ
さんにとっては、いつのまにか居心地のよいものになっていたのかもしれない。
「支配されて、不満を抱く」という状態が、自分にとっての定常状態になっていたのだ。
 それが実は永遠の定常状態ではなかったことに、震災を契機に気づいてしまった。
 これがマスミさんの怒りのおおもとにあるようだった。

今週の香山リカ

● 平成23年7月1日 ●
ついに50歳プラス1歳に……。でも
マイナス1歳と考えて、明るくテキ
トーに暮らそうっと
連載エッセイのご意見メールをお待ちしております。
ヤングアダルト出版会