第22回 : 越路吹雪
               ~シャンソンに命を捧げたモダンガール

古今東西の美女から「美」のエッセンスを学ぶイラスト連載。
イラストレーターおおたうにさんの独特の観察眼がキラリと光ります。
第22回は、シャンソンに命を捧げた越路吹雪です。
ニナ・リッチやジバンシーのオートクチュールで衣装を作り、愛の歌を歌った元宝塚のモダンガール。
まずは、彼女のバイオグラフィーからどうぞ!

本名:内藤美保子
1924年2月18日-1980年11月7日(享年56歳)
国籍:日本
歌手、女優

大正13年に東京で生まれる。二人姉妹の妹として生まれるが、姉が長く患っていたため、幼い時から祖父母の元に預けられ、親と離れて育てられた。後に、姉が亡くなってしまったため親元に戻るが、今度は父の転勤で長野の女学校の寄宿舎に入れられる。その後は宝塚音楽歌劇学校に入学して寮に入るため、終始親とは離れて過ごすことに。戦時中でさえ、親元に戻らず宝塚の寮にとどまったという。
音楽歌劇学校では、あまり熱心な生徒ではなかったが、広い音域は音楽の先生達が一目おいていた。
戦時中は舞台ができず兵士の慰問に行っていたが、戦後は進駐軍の慰問を行うようになった。彼女が歌うと兵隊達が立ち上がって拍手を送り、舞台の流れを止めてしまうことから、「ショウストッパー」の素質があったと言われる。
やがて宝塚の男役として活躍するが、帝国劇場の舞台に参加したことをきっかけに宝塚を退団。東宝の専属となる。その翌年から紅白歌合戦にも出場。
日本のシャンソン歌手として、一時代を築く。代表曲に「愛の賛歌」「サン・トワ・マミー」「ラストダンスは私に」などがある。その後、テアトロン賞、日本レコード大賞、文化庁芸術祭奨励賞など、さまざまな賞を受賞し、美空ひばり等と並ぶ昭和のスターとなっていった。
結婚は、少し年下で作曲家の内藤法美と。仕事も共にする仲のよい夫婦であった。
越路吹雪といえば毎年春・秋と行われる日生劇場でのリサイタルが有名で、ニナ・リッチ、イヴ・サンローランのオートクチュールを好むなど、豪華な衣装も人気だった。観客にとっても、着飾って出かける場所として人気であった。ニナ・リッチの本店には、越路吹雪のトルソーがあったという。
バッグも好きで、エルメス、ヴィトン、フェンディなど、高級ブランドのバッグを多数そろえ、手袋やニットなどの買い物時には、色違いで棚ごと買っていくと言われたことも。海外旅行が好きで、毎年どこかにでかけてショッピングに行くが、暮らしは質素で、マンションに夫と二人暮らしだった。
1980年、舞台中に激しい胃痛を訴え、公演後緊急入院。それから数度の手術を行うが、末期の胃ガンは回復せず、56歳の若さで惜しまれつつ亡くなった。

第22回:越路吹雪(1)
 
Copyright © DAIWASHOBO All RIghts Reserved.