コンプレックス プリズム 最果タヒ

 

序文

劣等感とはいうけれど、それなら誰を私は優れていると思っているのだろう、理想の私に体を入れ替えることができるなら、喜んでそうするってことだろうか? 劣っていると繰り返し自分を傷つける割に、私は私をそのままでどうにか愛そうともしており、それを許してくれない世界を憎むことだってあった。劣等感という言葉にするたび、コンプレックスという言葉にするたびに、必要以上に傷つくものが私にはあったよ、本当は、そんな言葉を捨てたほうがありのままだったかもしれないね。コンプレックス・プリズム、わざわざ傷をつけて、不透明にした自分のあちこちを、持ち上げて光に当ててみる。そこに見える光について、この連載では、書いていきたい。

03.話すのが苦手って、本当?

人と話すのが苦手だ。でも、嫌いではないと思う。打ち合わせとかインタビューで話しているときはそれなりに楽しい。けれどそれは相手が私をゲストとして扱ってくれるから、隅々まで気を遣ってくれているからだろう、そう帰り道に思い直しては、申し訳なくて申し訳なくて、楽しいとか浮かれていた自分を恥じる。私は、「話をさせてもらう」場でないと楽しいとは思えない、サービスのような対応でしか喜ぶことができない。せめて、そういう場でも楽しくない、って思える人間だったらよかったのになあ。これが、コンプレックスです。私は、話したいのだ、話したいくせに「会話」を望んでいない。相手との和を作ることをがんばれない、和をきっと、好きでいることができていない。

そして、それなのに「話すのが苦手だ」なんて誤魔化して暮らしていた。私はただ自分勝手なだけだろう。わかっていても、私はコミュニケーションが苦手だ、他人が怖い、と繰り返した。そうやって逃げて、平穏を手に入れる。沈黙の中、さみしさをそんなに感じずにいられる自分を、「強い」とすら誤解していた。

会話が嫌い、コミュニケーションが憎い、一方的に話を聞いてほしいだけだって、そう、言ってしまえばいいのにと自分でも思う。

けれどどうしてもそれができなかったんだ。

空気を読むとか読まないとか、そういう話を初めて聞いたとき、私は嘘やろって思いました。コミュニケーションの肝が「空気」にあるなんて、嘘やろって思ったのです。ずっと、空気なら読めているつもりだった、つもりだけど、その空気を読んだところで、どうしたらいいのかがわからなくて、それが何より辛かった。相手がいらいらしているみたいだと、わかったところで、何をすればいいのか見当もつかなくて、ただ冷や汗をかいている。言ったことがどうやらハズレだったらしいと気づいても、フォローの仕方を私は知らない。

「ここで、盛り上げなければいけない」

「ボケを、拾わなければならない」

「相手の求めている言葉を、言わなくてはいけない」

私は精度のいい鏡にならなくてはいけない、誰も私とは話がしたくないのだ、その人の想像する「私」にならなくてはいけないし、その場の部品として動かなければいけない。は? 意味わからんぞ? と思ってしまう。理解してほしいとは私は微塵も思わないです、私があなたに話したいことなんてたぶん突き詰めれば一つもないんだけれど、でもあなたが私に何かを強制するなら話は別だ、私は、私の中にある「沈黙する私」を守りたいと思うし、沈黙する彼女と、矛盾することなど言いたくはない、それが、身勝手だと言われるなら、身勝手でいさせてくれ。本当は、ただ私の技術が足りないだけだ、けれど、技術が足りなさすぎて、自分を犠牲にする以外方法が見つからない。そうして私は、場を盛り下げてきた、期待外れだという顔をさせてしまった、つまんない奴だと言われてきた、そのたびに、なんかしんどい、と正直、思った。意固地なのは私なのに、未熟なのは私なのに、そこで私は疲れていたんだ。

会話なんて、嫌いだ、そう言えなかったのは、たぶん、そのせいです。話すのが苦手だ、と自称していたのは、たぶん、そのせいです。私もいつか面白くなって、みんなと楽しい時間を過ごせるようになるのかも、なんて、どこかで期待をしている。諦めきれなくて、だからこそ、インタビューで自分の言葉が場を白けさせたり、相手をがっかりさせたりしていないって感じるたび、「楽しい」って思うことができていた(本当は聞き手の方の技術によるものだが)。私は、身勝手だし、自分のことが大切で、でも、だからって一人でいる時間だけを愛して、ほかの、みんなと楽しく過ごす時間を全て嫌うことなど、憎むことなど、できなかった。憧れています、たのしい会話。空気を読んだ上で、たのしい会話、できるなら、ほんとはしたいです。でも、私はきっとこれからも自分を守ることを優先するし、そこにはまた別のプライドがあるから、後悔はしません。ただ、いいなあ、って思っていたいな。叶わなくても、ずっと思っていたい。だから、いいと思います。「会話が嫌い」でも、「コミュニケーションが憎い」でもなくて、「ただ話をするのが苦手」、それで、いいと思っています。