コンプレックス プリズム 最果タヒ

 

序文

劣等感とはいうけれど、それなら誰を私は優れていると思っているのだろう、理想の私に体を入れ替えることができるなら、喜んでそうするってことだろうか? 劣っていると繰り返し自分を傷つける割に、私は私をそのままでどうにか愛そうともしており、それを許してくれない世界を憎むことだってあった。劣等感という言葉にするたび、コンプレックスという言葉にするたびに、必要以上に傷つくものが私にはあったよ、本当は、そんな言葉を捨てたほうがありのままだったかもしれないね。コンプレックス・プリズム、わざわざ傷をつけて、不透明にした自分のあちこちを、持ち上げて光に当ててみる。そこに見える光について、この連載では、書いていきたい。

04.憧れは屈辱。

誰かを崇拝してしまったら、もう私は永遠に、その人に負け続けてしまうのだろう。そう思いながらも私は、15歳で*1BLANKEY JET CITYの音楽を好きになった。ミュージシャンになりたいと夢見ることもできなかったな、いや、どこかではそんなふうに言葉にして、誤魔化していたけれど、でもちっとも本気になれなかった。もしもミュージシャンになれたとしても、ブランキーの浅井さんにはなれないし。だったら意味がないし、生きている意味もなんかない気がする。本気でそう考えていた。ばかみたいなことだとはわかっています。何言ってんだこいつ、と同時進行で思考する私もいて、それでもこの敗北感、消えなかったんだよなあ、忘れられなかった。*2「青春は軽蔑の季節」と私は書いたことがある。それは別に間違っていないとも思う。軽蔑が、したかった。それは、誰かをばかにしたいのではなくて、誰も、崇拝したくなかったから。そうなってしまったら、ぼくは簡単にぼくを、見失ってしまうだろう。

それまではどうしても、自分の「好き」に自信が持てない子供だった。他人に選んでもらったものでさえ、気づいたらちょっと愛着が湧いて、まあこれもいいかもねと思っちゃうそういう自分が本当に本当に信用できず、もしかして私には何一つ意思などないのではないか? なんて、不安になった。吸い込まれて、抗えなくて、そうして好きになってしまいました、みたいな絶対的万有引力的出会い、当時はまだ少しも知らず、知らないということが恥だったのだ。他人に何と言われようが好きだ、なんていうふうに思えるものはまだ、全然ない。ほんのり好きでも、そんな「好き」はあまりにも淡く、何だか自分なんてどこにもいないような、そんな気がしていた。

つまり、BLANKEY JET CITYを好きだと思えたことは、私にとって大事件だったのですよ。たぶんそれもあって、私の心の中でこのバンドは殿堂入りをしてしまっている。誰に言われようが揺らがない「好き」という感情の発見と同時に、私はちゃんと世界に存在していたんだと、そう確認するきっかけともなったのだ。けれど。それは。私の、現実を、知るということでもある。私が見えたということは、私の小ささが見えたということ、私が見えたということは、私の薄さが見えたということ、私が、浅井健一ではないということが見えてしまったということなのです。あー!

(ここまで当然のように、猛烈に好きなものを見つけることが自分を手に入れるということだと書いてきましたが、実際にはこれはイコールではないし、どれほど好きなものを見つけても結局それは他者であり、自分の外側にあるものごとであり、自分自身の内容物には決してならない。「好きなもの」を並べても本当はプロフィールとして成立しないはずなのだ、たったひとつ手にしているのは猛烈に好きだというその感情であり、それだけは自分そのものだと言えるかもしれない。けれど、本当はそれだって、その感情自体ではなく、感情を吐き出した「何か」こそが自分なのだと思います。弦をはじけば音がなるけど、その音ではなく、弦が「私」なのだろうなあ。

「好き」とは何かを自分に取り込むことではなく、世界に対する自分の応答なのだろう。そしてだから、自分から沸き起こる「好き」が淡く弱々しいものだと、まったく奏でられていないような、何一つ世界に対して反応できていないような、不安になるのだ。世界に流されて、言われた通りに喜んだり怒ったりしているだけじゃないんだろうか。そうでなくてもね。実際にそうでなくったって、不安になってしまうのだよなあ。)

ものすごく好きなものを見つけたとき、私はぜんぜん満たされなかった。好きなものは一方的に私の思いを吸い込んでいくばかりで、自分が、豊かになるということはなく、むしろ世界が豊かであることを見せつけられ続けているような心地がしていた。そのことに私は傷ついたけれど、でも、私は、この世界のなかで、生きていかなければならないので。世界が豊かであるのは、むしろ万々歳であるはずなので。私が素晴らしかろうが? いとしかろうが? 私は私という空間ではなく、世界という空間で、暮らしていかなくてはならないのでね! そこにあるのが生活で、日々であるのだ、豊かであるというそのことはとてつもなく素晴らしいことに違いないんだよな。私は満たされなかったよ、でも、私の生活は、私の人生は、満たされてしまったよ! ……すごく変な感じはする。どうやら世界が私に勝っても、私が世界に勝ったとしても、あんまり楽しいことにはならないらしい。どちらも勝たなきゃいけないってことか? それってどういうこと? よくわからないが、もうどうしようもないんだな、ということだけはわかりましたよ。しんどくて悲しいからできるだけ好きなアーティストは増やしたくない、と思いながらついつい音楽を聞きまわってしまうが、それもまた欲望に忠実なだけなのだろうねえ。屈辱怖いな、でも、屈辱を追いかけて、わたし、生きていくのだろうな。

  • [*1] BLANKEY JET CITY
    1987年に結成された日本のロックバンド。浅井健一(ボーカル&ギター)、照井利幸(ベース)、中村達也(ドラム)からなる。 
  • [*2] 『星か獣になる季節』(筑摩書房)のあとがきより引用。