「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子

「目の前にいる、生まれたばかりの赤ちゃんである我が息子。この子が、男であることがなんか、嫌」
ある日、自分のそんな奇怪な感情に気づいた、漫画家・田房永子。上の娘が赤ちゃんの時にはこんなこと思わなかったのに。
思えば中学、高校と6年間女子校に通い、生身の男子との交流に飢えながら、少女漫画でファンタジックな男性観を培い、しかし実際に出会い接触するのは「痴漢」という性的な恐怖を与えてくる男たちのみだった──。
もしかして自分は、強烈な男性嫌悪者かもしれない。このまま、男の子を育てるなんてしてはいけない。己の歪んだ男性観の矯正に挑む、ド直球日常報告エッセイ!

17父への手紙

ぬっちゃんが生まれてもうすぐ5年。この5年間、ぬっちゃんのおもちゃを買うのはほぼ私だった。夫もたまに買うが、8割は私が買った。ぬっちゃんと夫の親は年に1回しか会わない。夫の親はぬっちゃんを大変かわいがっていてプレゼントをくれるが、おもちゃ売り場に一緒に行く機会がなかった。

私の親からは、ぬっちゃんが3歳になる時に一度だけおもちゃ売り場に行き、買ってもらった。ぬっちゃんが祖父祖母から買ってもらったおもちゃは一つだけ。

同じくらい年の子どもがいる友人の家に行くと、“大きいおもちゃ”がたくさんある。みんな困った顔で「じじばばが買ってきちゃうんだよね」と言う。

そういう時、私は「そうなんだー」という顔をするんだけど、体は肋骨のあいだ、食道のあたりがシュワシュワと酸っぱい感じになってきて、次第にそこがスカスカとしてきて、気づくと胸と胸の間がなくなって後ろの床が見えるような、言葉にすると胸が痛む、そういう感じに毎度なった。

ぬっちゃんにおもちゃを買ってあげる人間が、私と夫しかいない、ということがなぜかものすごく悲しかった。他の家は、おもちゃを買うのはじじばばの仕事みたいな家も多い。どうして祖父祖母が生きているのに、ぬっちゃんは祖父祖母からおもちゃを一つしか買ってもらえないんだろう、と思うと自然と目の中が熱くなってくる。別にそんなに悲しむことでもないと頭では分かるけど、どうしても悲しかった。

たぶん自分の中で、小さい頃の記憶、祖父祖母と言えば「おもちゃ」というセットが大きくあるからだと思う。

おじいちゃんと二人で上野動物園に行って、ビニールでできたパンダの風船を買ってもらって、「またこんなの買ってきて」と母におこられたおじいちゃんが私にテヘぺろ的な顔でほほえんできたこととか。

お正月、おもちゃ売り場の福袋をおじいちゃんが買ってきて、それがものすごいたくさん大きいおもちゃが入っていて私が狂ったように喜び続けていたので、次の年の正月も喜ばせようとおじいちゃんは福袋を私に買ってきてくれた。親族全員が集まっているところで、おじいちゃんは「エイコちゃん、福袋だよ~」とホクホクした感じで渡してきた。親族一同、何が出てくるのか? と注目が集まる中、袋から出てきたのは、その10年後くらいに浜崎あゆみが着用して一般化した「どでかいキツネのしっぽみたいなキーホルダー」だった。当時はヤクザのおじさんが腰につけるものだったので、全員が腹を抱えて大爆笑した。あまりにみんなが笑うので、おじいちゃんはシュンとしてしまい、かわいそうすぎて「もう笑わないで」とみんなに言った。

おばあちゃんがおもちゃを買ってくれると言って、デパートのおもちゃ売り場で着せ替えができる大きな人形を買ってくれたこともすごく覚えている。売り場でお人形の写真がかいてある大きな箱をおばあちゃんがレジまで運び、嬉しくて、連絡通路みたいなところで箱を開けて抱っこして帰りたいとせがんだ。おばあちゃんが立ったまま箱を開けると、「うわあっ!何これ!!」とおばあちゃんが悲鳴のような声をあげた。それはお人形のかつらで、毛糸でできた髪の毛だけだった。私はうわああと泣いて、おばあちゃんは売り場の人にかけあったんだけど、そのお人形本体は売り切れで、結局別のものを買って帰った。その別の物がなんだったか思い出せないけど、毛糸のかたまりが出てきた瞬間の映像とか、あとで家族に話してみんなで笑ってたこととかはすごく覚えてる。孫を喜ばせようとしたのにガッカリさせてと毛糸を持ってプンスカ怒っていたおばあちゃんの姿、シュンとしたおじいちゃんの表情が、私の心のどこかで、小さくても私を支える一つとして存在してたってことはあると思う。

17 父への手紙

 

 

ぬっちゃんにはああいう思い出がない、と思ったら、えぐられるような気持ちになる。

夫の親は状況的に無理だったし、私の両親とは私が会わないようにしているし、そんな私が「どうして買ってやらないんだ」というのは筋が通ってない。

だからもちろん誰にも、夫にも言ったことがないけど、「どうしてあいつらは自分から買ってあげたいとか思わないんだろう」とか「無理矢理にでもおもちゃ売り場に連れて行って買ってあげたいとかそういうことをあいつらは言ってこないんだろう」という、ほぼ言いがかりなことは結構常に私の中にあった。でも、たわいのないこととして放っておいた。

そうやって、自分から絶っているけど向こうからは「おもちゃだけは買わせてください」と言ってこいよ、と思っているということは、会っても私の望む「おもちゃを買ってあげたいから買わせてください」という態度を示さないことが耐えられないから会わない、とも言い換えられる。それこそ「依存的敵意」ではないか? と思った。

私はこんなに、あの人たちに裏切られている、という感情を感じてた。どうせかなわないことだから、と自分を黙らせていた。絶対にそんなことを本人たちに伝えるはずがなかった。

だけど、「私の娘におもちゃ売り場でおもちゃを買ってあげてほしい」と両親に伝えること自体は別におかしいことでもないし、それがその時の私の、親に言いたいけど言えない唯一のことだった。

それを父への手紙に書くことにした。両親へではなく、母へではなく、「父へ」。母に比べたらまだ、話が通じるような気がしたから。

手紙の中で父と母のことをお父さん、お母さんと呼ぶのがどうしても違和感があったので、ミチオさん、ミチコさんという風に、名前で呼ぶことにした。

私にとってミチコさんは、嘘をつく人であるということ。私からみて、ミチコさんはとても傷だらけの人だと思う、ということ。

『彼女自身に深い傷がありすぎて、とてもじゃないけど、娘の私とは向き合えないんだろう、と思っています。私と向き合うというのは、ミチコさんにとって、「自分が娘につけてしまった傷」と向き合うことだからです。

私も私で、ミチコさんには常に目を逸らされる状況を感じ続けていました。そうやって、私のほうも深く傷つくことを繰り返してきていることもあり、最後に会った時は、特別、大きなショックを受けました。せっかくやっとここまできたのに、やっぱり無理なんだな、と思いました。悲しくてつらく、2年間、連絡をとることができませんでした』

とか

『これも私から見た印象ですが、とにかくミチコさんはナチュラルに嘘をつく。ほとんどが嘘といってもいいくらい、たくさんの嘘をつく人です。きっと、彼女の中ではそれは嘘ではないのだろうと思います。嘘をつかないと彼女自身の世界が崩壊してしまうから嘘をついているのだろうと、解釈しています。だから別にもう、そこへの怒りなどはありません。ただ、ミチオさんと私との間にある「ミチコさんによる嘘」を信じ込むおかげで、本当の気持ちを伝えずにいることが、よいことであるとは思えなくなりました。お互いが生きているうちに、言っておきたいと思いました』

というようなことをA4サイズ1枚半に渡って書きプリントアウトした。今思えば、これらの前置きは長かったと思う。

そして本題を書いた。

私がミチオさんとミチコさんに望んでいることはただ一つです。

私が欲しいものを、与えて欲しいということです。

ミチコさんが私にあげたいものは、もういりません。

私が欲しいものは、「ぬっちゃんに、何が欲しいのかミチオさんとミチコさんが尋ね、ぬっちゃんが答えた通りのものを、ミチオさんとミチコさんがあげている光景」です。

できるだけ具体的に書いたつもりだったし、書いた時点で、「書いてあげられたな」と思った。自分に対して。いつも「くだらない」「仕方ないでしょ」「何言ってんの」と放っておかれた、38歳になっても私がほしいものをくれる親を求めている私に対して。

もしこの手紙を父が受け取る前に母に見つかったら、いくら「ミチオ様」宛てでも差出人が私だと、母は封を切る可能性が高い。切らなくても「何が書いてあったの」としつこく言う様子が想像できた。少しの時間でいいから、父が一人で私の「真意」に向き合って欲しかった。だから父だけしか受け取れない「本人限定受取」という郵便局のサービスで出すことにした。

郵便局に持って行くと、出した郵便局の名前が相手に知られてしまうということが分かった。市区町村や地域も知られたくないので、出すのをやめた。

そうこうしているうちに出産予定日が過ぎた。それでも生まれない。健診に行く度「もう産ませてくれ・・・」と祈りまくり、予定日を1日過ぎた時、やっと「陣痛促進剤を打って朝からお産を始めましょう」という日が医者によって決定した。その日まであと1週間もある。「今日、今からそこのベッドで促進剤打ってお産でいいのに!」と思ったけど言えなかった。

ぬっちゃんの時、予定日より9日遅れだったが、二人目も8日遅れでこの世に誕生したのだった。二人の誕生日は5日違いになった。

ぬっちゃんの時と違い、かなり過酷なお産だったので、飛び出してきた赤ちゃんを見た私は「あああああああああ~~~~~~~~~!!!!!!!!!」と雄叫びのような号泣を爆裂させていた。看護師も医師も淡々としている病室の中で私一人がテンションがぶち上げで、「ああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!」と叫ぶ。夫は私の手を握り「元気だよ、元気な子が生まれたよ」とブツブツ言っていた。私はうなずく余力がなく、涙が流れ落ちる目を見開いたまま夫をガン見し「あああああああ~~~~~~~~~~~~!!!!!!」と答えた。

体重と身長がモニターで表示される体重計に乗せられる赤ちゃん。「3930g」と出ていて「は??」と思った。さらに身長は「85.7cm」と出ていて、「え?? 生まれたばかりの赤ちゃんて何センチくらいだっけ? 85センチって大きめなんじゃないかなあ?」とボンヤリ思ったのだけど、さすがに身長のほうは誤作動だったようだ。

体重はやはり3930gで、抱っこした時、雄叫びを上げながらも「すでに生後3ヶ月くらいの体つきだな」と思った。新生児室のベッドでも、一人だけはみ出しそうにパンパンな感じに入っていた、新生児感の薄い、私の二人目の赤ちゃん。ワイ君。

入院中、見舞いに来た夫から「頼まれたお父さんへの手紙、本人限定受取で遠くの駅の郵便局から出しといたよ」と言われ、ああ、本当に出したのか、と思った。

» 18につづく