「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子

「目の前にいる、生まれたばかりの赤ちゃんである我が息子。この子が、男であることがなんか、嫌」
ある日、自分のそんな奇怪な感情に気づいた、漫画家・田房永子。上の娘が赤ちゃんの時にはこんなこと思わなかったのに。
思えば中学、高校と6年間女子校に通い、生身の男子との交流に飢えながら、少女漫画でファンタジックな男性観を培い、しかし実際に出会い接触するのは「痴漢」という性的な恐怖を与えてくる男たちのみだった──。
もしかして自分は、強烈な男性嫌悪者かもしれない。このまま、男の子を育てるなんてしてはいけない。己の歪んだ男性観の矯正に挑む、ド直球日常報告エッセイ!

05 夫の親族の集まりに行くと自動的に台所へ向かいフルーツを切ってしまう私

お腹の中の子が男の子だと分かり、ロマンファンタジー気分に包まれてから、妙な理由付けをして買い物をするようになった。

雑貨屋に行ったら、いい感じのトランプが売ってた。動物とか野菜の絵が描いてあるトランプ。いろんな種類の中から、恐竜と鉱石のを選んだ。

その時、私は、自分の心が思っている内容にゆっくり気づき、小さくゾーッとした。

思っていたのは「男の子だから、こういうの好きになるかも」ってこと。

「男の子だから」ってなんだよ。

3歳の娘に「野菜を食べたら美人になるよ」と話しかけている大人を見た時、娘の耳を手で塞ぎたくなった。それと同じ意味の言葉で男の子には「野菜を食べたら強くなるよ」というのがある。子どもに野菜を食べさせるという大人側が大変な作業の時に使うと、たちまち目の前の野菜が子どもの口に吸い込まれる呪文のようなもの。

 そういうふうに、なんの悪意もない時に笑顔で発せられる言葉のほうが洗脳力と呪力が圧倒的に高いと思う。

「女の子は美人になりたいものだ」とか「男の子は強くありたいものだ」という、個人がどう思ってるかより先に、間接的に「あなたは女(男)なのだ」「だからそう望むべきものなのだ」というメッセージが、3歳くらいの子どもの柔らかく抵抗がない脳に入っていく。自分たちが受けた呪詛を伝承している感じ。

例えば、夫の親戚が集まっている場で、「嫁」である自分は「かいがいしく動き回る」のが自分の仕事だと思ってしまう。

本来の私は、食べたい人飲みたい人が自分でやればいいと思う人間である。そういう中に、お客さんがいたらなんとなくもてなす、くらいでいいと思う。

夫の親戚の中では、立場的にどっちかと言えば一番の「お客さん」は嫁である自分だと思う。なのに、気づくと他人の家の台所で率先してフルーツを切っていたりする。義母や親戚がいる光景を目の前にすると、ぐわーーーーーっと何か自分の体の輪郭に沿って「気」が集まってくる感じがする。日本全体を取り囲む、女・嫁に対する「こういう場では嫁はこんなふうに振る舞うもの」という強大な圧のようなものが一気に自分のもとに集まってくる。

体内にもそれはある。昔に見た実際の光景、映画やドラマのシーン、友達との会話だったりが、知らない間に粒子となって私の無意識の層に棲み着き、外側の圧を呼び寄せ、内側からも細胞をビンビン揺らしてくる。

だから、「エイコさんこれお願い」とはっきりと言葉で言われなくても、自分の輪郭がその圧によって動き、自動的に手に持った包丁でオレンジやらを切ってしまう。圧と粒子は私の口角の筋力までもコントロールし、「笑った顔」にさせる。私という人間はその時、どこかで死んでいる。

その間、こちらから声をかけないとボーッとしている夫を見ると、急にその「私という人間」がドーーン!と起き上がり、尻の穴から熱い怒りが突き上げてくる。

そういう時の男は逆に「じっとして動かない」という気が日本中の土壌から輪郭に集まってきているのか。しかしそれは息子を産んで「男性観の矯正」を意識するようになってから思ったことであって、その時の私はフルーツを配りながら「不服」「不公平」「不本意」という感情の煙で胸の中が真っ白になっていた。

そういう場になると急に、当然のように働く女たち、動かなくなる男たち、それらはとても無駄だと思う。得意なことをするとか、やりたくないことはやらないとか、そのほうが効率がいい。男女ということで分ける「気」や「圧」を次世代に継承してきた先人達をその点では恨んでいる。だから自分はしたくない。

という理想は、おおいにあるのである。しかし、実行は果てしなく難しい。

私がおすすめするモノ、与えたいモノにあまり興味を示さなかった娘。そんな娘を誇りに思っている。

しかしその「おすすめしたけど反応なし」な時の自分のちょっとした「がっかり」たちが、私を「男の子はこちらが与えたものに反応するらしいロマンファンタジー状態」に突入させた。

恐竜と鉱石のトランプ。こんな今すぐに生活に必要ではないもの、「こういうの興味持つかも」と思って、しかも2つも、トランプなんて家に一つで十分なものを、衝動買いをする。

自分が欲しいだけなのに、さも“お腹の子のため”を装っている。そこで“男の子だから”という理由を自分でつける。そんな心の動きを自分が勝手にしていること、を、少し気味悪く思った。でも両方買った。

それからも、画集とか画材など、仕事でつかう美術にまつわるモノを買う時、そのたびに未だ見ぬ「息子」が心に浮かんで、彼がその購入の決心を後押しした。

そのうち私の心の中での「息子」は、絵を描いたりしているのが普通になり、それが超絶的に上手かったりした。そういう、妄想が心に浮かぶようになったのである。

私には同じような体験があった。娘が2歳の頃、「30歳くらいになった娘が朝ドラの脚本家をしている」という妄想にとりつかれ、日に日にその光景が「脚本についての相談事を私に電話してくる娘」とか、どんどん具体的になっていくということがあった。

これはおかしい・・・と思いつつ、気をゆるめてその妄想にウットリしちゃったりするとむちゃくちゃ気持ちいい。

私は山田太一脚本のドラマが大好きで、もしかして自分が脚本家になりたいんじゃないか? と思った。ならば自分がやるべきだろうと思い、脚本家教室の山田太一の講義がある夏期講座に申し込んでみた。1~2回通った時点で「あ、めっちゃ大変、脚本家」とその偉大さに改めて感服し、生の山田太一さんも拝むことができて、夏が終わる頃にはすっかり娘への妄想が止んでいた。

この時のことを思い出し、息子に対する妄想も、結局自分のアレなんじゃないかと思い、絵画教室の短期講座に行くことにしたのだった。

夫の親族を目の前にすると・・・盆・暮れ・正月・法事に慶事