大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.25(最終回)  引き算の生き方



 モノを増やさない、と、決めたはずだった。
 それなのに、気が付くと、至る所にモノが溢れている。
 何とかしなければ、と思う。
 年末にもなったことだし、この際、きっぱり処分しようと決めた。

 まず、クローゼットから取り掛かった。
 あるある、着ていない服が。これからも着ないであろう服が。
 けれど、処分するとなると、どうしても躊躇してしまう。
 これ、高かったんだよなぁ。
 この未練たらしさが、いちばんの敵だとわかっている。服という
のは、着てこそ価値がある。着ない服は、ただの布きれより始末が
悪い。
 それなのに、なかなか決心が付かない。つい、ちょっと着てみよ
うか、という気になった。去年は似合わなかったけれど、今年はい
けるかもしれない。
 着て、鏡の前に立ってみる。案の定、しっくり来ない。しっくり
こないから着なくなったのだと改めて思い知るばかりだ。
 でも、ふと考える。
 ちょっと手を加えれば、もしかしたら活用できるかもしれない。
 リフォームというやつだ。
 大掛かりなことはできないが、丈を詰めたり伸ばしたり、ダーツ
を入れたり、襟を取ったり、半そでにしたり、何か方法があるので
はないか。
 いやいや、やめなさい。いつもそれで失敗してるでしょう。
 と、冷静な私が止めに入る。
 確かにそうだ。今までも、何回かそれをやって、大失敗をした。
元のままなら、どこかに送ることができたものが、切ったり縫った
りしたばっかりに、本当に捨てるしかなくなってしまった。
 なので、試しに着るのはもうやめにして、処分の服を選んでゆく。
 それにしても、どうしてこの服を買ったのだろう。
 と、私はネットで買った、それはそれは鮮やかなグリーン色のチ
ュニックを手にして考えた。買って二年。一度も着ていない。
 ネットで衝動買いする時は、大抵の場合、気持ちが落ち気味の時
である。欲しいというより、買うことで気持ちを落ち着かせようと
する。きっと何かあったのだろう。
 でも、その何かを思い出せない。いったい何があったのか。
 いや、それは幸運なことだと考えるようにした。本当に辛いこと
であったら、忘れられるはずがないから。
 そういう意味で、このチュニックは役目を果たしたとも言える。
だから、一度も着なかったことに後ろめたさを感じなくてもいいの
だ、と、私は自分に言い聞かした。
 服にきちんと言い訳できるというのは、処分するに大切な要素と
なる。
 そんな塩梅で約二時間、十数枚の服を段ボールに詰めた。
 ネットで調べると、引き取ってくれる機関があるので、そこに送
ろう。
 もちろん、即、ガムテープで蓋を閉じ、思い直す余裕を自分に与
えるようなことはしなかった。

 次は下駄箱に移った。
 靴というのは難しい。
 服は、似合う似合わないを別にすれば、着ようと思えば着られな
いこともない。けれど、足に合わない靴はすでに靴ではない。
 これは靴擦れができる。これはつま先が痛くなる。これは長く履
いていると疲れ切る。
 それでも気持ちが躊躇するのは、靴というのは持っているだけで
心華やぐという、趣味的な意味合いがあるからだ。
 腰を痛めてから、私はコンフォートシューズばかりになった。ヒ
ールも三センチまで。それなのに、フォルムの美しいピンヒールの
パンプスが処分できない。履いたのは一度だけで、その日の夜に、
ぎっくり腰になったというのに。
 結局、ブーツも含めて五足、処分を決めた。
 ただ、ピンヒールのパンプスはその中に含まれていない。
 私はそれを靴と思うのはやめにした。
 靴箱の中のインテリアグッズ。
 と、何とか自分を言いくるめた。

 キッチン周りも難しい。
 調理器具は大して持っていないので、まあいいとして、問題は食
器である。
 うちには二つの食器棚があって、ひとつは普段使い用が入った小
さいもの。少し大きめの方は、お客様用が入っている。
 けれど、うちに来客は少ない。その上、いらしていただいても、
食事は「どこかおいしいお店で」ということになる。
 だったら処分すればいいのだろうが、恥ずかしながら、私の無謀
な展望の中に、来客を手料理でもてなす、というのがある。今は料
理に目覚めていないだけで、いつかきっと気の利いたものをてきぱ
きと作ってテーブルに並べる日がくるはずだ、と。
 だから、迷ったけれど、処分はしないでおくことにした。
 ただ、無意味に何枚もある大皿と、景品で貰ったもの、プリンな
どが入っていた器は、どんなに洒落たものであっても、きっぱり捨
てると決める。

 困ったのは、天袋を占領している「箱」である。
 綺麗な箱が、私はどうしても捨てられない。色といい模様といい
形といい、見ているだけで心が弾む。いつか何かに使いたい。実際、
使ってもいる。でも、ここに入っている箱は何年も使っていない。
 どうしよう、と、迷いつつ取り出してみると、驚いたことに、い
くつかにカビが生えていた。しまっておくだけでこうなるものらし
い。それは処分するしかないだろう。

 使わないタオルは、募集しているところに送る。
 化粧品やシャンプーコンディショナーの試供品は、旅行の時に必
要になる、と思っていたが、結局、たまる一方なので、とっとと使
うか、捨てる。
 綺麗なリボン類はどうしよう。箱同様、これもなかなか捨てられ
ない。
 やけに上質の紙で作られた紙袋は?
 押入れに入ったまま、一度も使われていない客布団は?
 写真類は? 中途半端に使えるペンは? クリップやクリアファ
イルは?

 ここで、もう力尽きた。
 残りは来年に回すことにして、切り上げることにした。

 私の母は大正生まれで、その年代にありがちな、捨てられない人
だった。
 ある日、脳梗塞で倒れ、身体が不自由になった。七年後、母が残
した大量なあれやこれやを処分するのは、兄家族もさぞかし大変だ
ったと思う。母自身、誰にも見られたくないものがあったはずであ
る。
 私もいい年になった。ましてや、子供もいない。
 それを考えても、早め早めに、対処しておかなければと思う。

 考えてみれば、ずっと足し算の生き方をして来た。
 それを否定するつもりはない。
 欲しいものがある、というのは素晴らしいことだ。
 でも、ため込む生活からは脱却したい。
 それは何も「もの」ばかりではない。人間関係も、考え方も、身
体的にも、すべてにおいて。
 これからは、引き算の生き方をしてゆきたい、と、心から思う。


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 二年余り、お付き合いいただきありがとうございました。ご愛読に感謝申し上げます。(唯川恵/編集部)

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