大和書房 WEB限定連載

いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵

vol.4  携帯電話とのまっとうな関係。



 携帯電話の支払いが基本料金(それもいちばん安いプラン)を超
えたことがない、と言ったら、ものすごく驚かれた。
 みんな、そんなに携帯電話を利用してるんだなぁと、私の方こそ
驚いた。
 ここ三日、いや一週間――今調べてみたら、十三日間、携帯は鳴
っていない。(ちなみに、この記録は更新間違いなし。但し、メー
ルは除く)
 だったら持たなくてもいいんじゃないかと思うのだけれど、今の
時代、街中で公衆電話を探すのは大変だ。
 携帯電話を家に忘れた時に限って、道に迷ったり、待ち合わせの
場所が見つからなくなったりする。持っていないと、やはり不安だ。

 若い頃は、私も相当な電話好きだった。

 七十年代、私は女子高生で、あの頃の家はどこもそうだったけれ
ど、電話は居間に一台しかなく、内容は筒抜けだし、長く話してい
ると親に「いい加減にしなさい」と叱られた。親に聞かれたくない
込み入った話がしたい時は、近くの公衆電話まで走ったものである。
 だから、八十年代に入って、自分専用の電話を持てた時は嬉しか
った。女友達やボーイフレンドと一時間でも二時間でも、一晩中で
も話していた。それでもまだ話し足りなかった。
 いったい何を話していたのだろう。内容なんか関係ない。時間を
お互いに共有しているのが楽しかったのだろう。

 これも、みんなやっていたことだけれど、コールを聞き逃したく
なくて、延長コードを買ってきて、それを継ぎ足し、お風呂場の前
まで持っていった。
 シャンプーやシャワーを使っている途中、鳴っている気がして、
慌てて手を止めて耳を澄ませる。まず空耳なのだけれど、それを二
度も三度も繰り返した。
 コードレスになると、家中はもちろん、住んでいたアパートの郵
便受けに行く間も、肌身離さず持ち歩いた。
 その一回の電話を逃すと、もしかしたらものすごく大切なものを
失ってしまうのではないか、という気がした。

 好きな男がいたんだなぁと、笑ってしまう。
 電話が気になる。それは、気になる男がいるのと同義語だ。

 あの頃、私は電話に支配されていた。
 電話が鳴り始める直前の、あの「ちりっ」という小さな咳払いみ
たいな機械音にも敏感に反応した。一瞬にして期待に胸が膨らむが、
一回のコールで取ったら「待ってました!」みたいに思われる。二
回目も早すぎる。でも三回だと切られてしまうかもしれない。三回
目が鳴る直前に取る、というのが、その頃の私のみみっちい計算だ
った。(もちろん、相手が期待の人ではないという確率の方が百倍
くらい高かった)

 さすがに、外出したり、仕事で家を空ける時は、電話を持ち出す
ことはできない。気になりつつも、その時だけは電話から解放され
た。
 外から留守電を聞ける機能もあったけれど、留守電に録音されて
いる、ということ自体ですでに手遅れのような気がしたし、その頃、
私の好きだった男は、メッセージを残すような気遣いは持っていな
かった。

 それが九十年代になって、携帯電話が出現し、もはや二十四時間、
どこにいようが何をしていようが、私のそばには電話があるように
なった。
 それはつまり、連絡が取れなかった、というエクスキューズが効
かなくなったということでもある。
 「電話したんだけど、いなかった」
 などという、掛けてないとわかっていながらも一パーセントの期
待を持てる嘘、というものも通用しなくなってしまった。
 ゆえに、いっそう電話を手放せなくなり、もっと辛く、焦れった
い思いを噛み締めなければならなくなった。
 携帯電話の出現は画期的であるからこそ、容赦なかった。
 あの頃、私は携帯電話の奴隷だった。

 よく言われることだが、携帯電話の出現は恋愛小説をも大きく変
えた。
 何しろ、王道である行き違いとすれ違いが使えなくなってしまっ
たのだ。
 彼と待ち合わせて、でも急用が入って、どうしても行けなくなっ
た。約束の時間を過ぎ、ようやく駆けつけた時にはもう彼の姿はな
かった――。逆に、もういるわけがないと思いつつも行ってみると、
彼はちゃんと待っていてくれた――。
 などなど、連絡が取れないことで、恋愛は大きな盛り上がりをみ
せたものである。

 小説だけでなく、リアル恋愛も、もう携帯電話なしには成り立た
ないのだろう。
 「どこにいても繋がっていられるという安心感がある」と、知り
合いの若い女性は言った。
 恋愛と不安、これもセットだ。
 少しでも不安が解消されるのであれば持っているにこしたことは
ない。
 ただ、すぐに連絡がとれる、という状況が当たり前になってしま
ったがゆえに、連絡が取れない、ということのストレスやダメージ
に翻弄されることも多くなったはずだ。
 繋がらない、返事がない、ただそれだけで、時に、自分が拒否さ
れているようなパニックに陥るケースもある。
 うんと若い女の子だけれど、メールしてすぐに返事をくれない相
手は友達じゃない、と言っていた。彼氏とは日に十回以上メールを
やりとりしないと心配でたまらない、とも。
 シャレで言っているわけではないらしい、というところが何だか
切なかった。

 携帯電話は進化し続け、機能もたくさんあって、もう私には何が
何だかさっぱりわからない。
 連絡を取り合うだけではなく、相手の顔も見られるし、写真も撮
れるし、音楽も聴けるし、ゲームもできるし、テレビも観られる。
お財布代わりにもなるし、カードとしても使えるし、様々な情報も
簡単に手に入れられる。
 知らなかったことを知ることができるという便利さには驚嘆する
ばかりだけれど、知らずに済んでいたことまで知ってしまう羽目に
陥る厄介さには嘆息する。

 今も、携帯電話にはお世話になっているし、助けられていること
も多々ある。
 機能を使いこなせなくて、宝の持ち腐れとわかっていても、決し
て、ない方がいいなんて思っているわけではない。鳴らなくたって、
私もいつも携帯電話を持ち歩くようにしている。

 ただ、かつてのようなストレスはなくなった。
 十三日間一度も鳴らなくても、悲しくなったりしないし、困って
もいない。追い詰められもしない。
 たぶん、私はようやく、利用者と便利な道具として、携帯電話と
まっとうな関係になれたのだと思う。

●インフォメーション


軽井沢は連日最低気温マイナス10℃。
2月はマイナス20℃くらいまで下がり、
近年でもめずらしい寒さだとか。


毎朝庭にはいろんな足跡が。
一直線なのはキツネ。ふたつにひとつはウサギ。雪を掘り返しているのはイノシシ――
だそうです。真夜中、知らないうちにいろんな動物が来ているんですね。


2月に出した新刊2点『途方もなく霧は流れる』『一瞬でいい』(いずれも新潮社から)が好評発売中です。

                (編集部記)

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