大和書房 WEB限定連載

いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵

vol.5  占いとジンクスとピアス



 若い頃、占いやジンクスがとても気になった。
 当たる占い師がいると聞いて、わざわざ横浜や、大阪や、台湾に
まで行ったりした。幸運が舞い込む、という触れ込みのお守りやパ
ワーストーンを持っていたし、財布には蛇の抜け殻が忍ばせてあり、
茶柱が立つと喜んだ。
 これからの人生にいったい何が待っているのか。
 あの頃の私は不安でならなかった。
 仕事も恋愛も人間関係も、すべてがうまくいっていない気がした
し、これからもうまくいくようには思えなかった。
 世の中には、自分の力ではどうしようもないことがある。きっと、
そういうところは占いやジンクスの範疇であって、解決するにはそ
れに頼るしかないと思えた。
 私は幸せになれるのだろうか。
 幸せ、という意味もわからないまま、前途にびくびくしていた。

 OL時代に買った指輪のことを思い出してしまう。
 小さなルビーが付いた、とても洒落た指輪だった。一目惚れして
購入したのだけれど、初めてそれを付けた日、小さなトラブルが重
なった。
 遣り切れない気持ちで家に帰って来て、ふと思った。
 もしかしたら、この指輪のせい?
 そう考え始めると、そうかもしれない、いや、そうに違いない、
これは不運を招く指輪だったのだ、と思えた。
 私は二度とその指輪をしなかった。したらまたトラブルに見舞わ
れてしまいそうな気がした。目に付かないよう引き出しの奥にしま
い込み、なかったものにした。
 もちろん指輪のせいなんかじゃない。私は責任を指輪に押し付け
ただけだ。トラブルの原因が自分にあるのを認めたくなかったのだ。
だって、そう考える方が怖かったから。
 ずいぶん時間がたって、ふと思い立ち、引き出しの奥を探してみ
た。でも、指輪は見つからなかった。きっと怒ってどこかに行って
しまったのだろう。
 ごめんね、指輪。
 あなたに罪をかぶせてしまって。

 人生の中で、もっとも占いやジンクスに振り回されたのは三十代
後半だろうか。
 何もかもが空回りしているようで、毎日、ため息ばかりを繰り返
していた。
 小説は売れないし、出版社が倒産して印税を踏み倒された。好き
だった人に背を向けられ、次の恋の気配もなかった。
 贅沢を望んでいるわけじゃない。お金持ちになりたいとか、ラク
したいとか、働くのが嫌というわけでもない。
 ただ、その時の私は何よりも、寄り添えるパートナーが欲しかっ
た。あてのないこんな仕事をしているからこそ、助け合い、支え合
える相手が欲しかった。その気持ちは、今考えても、結構、真摯だ
ったと思う。
 でも、何をやっても駄目だった。
 気になる人にはすでに妻や恋人がいた。思い切って積極的に出た
相手には露骨に困惑の表情をされた。優しくしてくれたので、私を
好いてくれているのでは、と期待したら、単なる営業スマイルだっ
た。
 私なりに努力はしたし、頑張ったつもりである。けれども、幸福
はみんな私の前を素通りして行った。
 私は何をどうしていいのかわからなくなった。自分の決断や選択
では、ちっともいい方向に進まない。私は自信を失っていた。
 もしその時、「こうすれば幸せになる」と、誰かが断言してくれ
たら、私は確実に従っただろう。

 有名な女性タレントが占い師にマインドコントロールされた、と、
ワイドショーや週刊誌が報道している。
 真偽のほどはわからないが、それを聞くたび、切なくなる。彼女
の気持ちが痛いほどわかる。
 あの時の私が、そうならなかったとどうして言えるだろう。
 そういう人物と出会わなかっただけ。
 差は、たぶん、それだけだったような気がする。

 占いやジンクスから距離を置けたと感じたのは、四十歳の誕生日
当日だった。
 どうしてそんなにはっきり覚えているかと言うと、その日、私は
ピアスをしたからだ。
 その頃「ピアスをすると人生が変わる」というジンクスがあって、
私はそれを信じ、いや、それに懸けて、耳鼻咽喉科のクリニックに
予約を入れた。
 待合室で待っている間、どきどきした。だって、私はピアスをし
に来たのではなく、人生を変えに来たのだから。
 やがて名前を呼ばれて、診察室に入って、耳を消毒されて、太い
針のようなものをぶすりと突き刺されて……。
 処置を終えて、診察室を出た時、私は自分の思いがけない心境に
びっくりした。
 そこには「こんなことで人生が変わるはずがない」と、思ってい
る自分がいた。もっと言えば「ピアスごときで人生変わってたまる
か」だった。
 うまく言えないけれど、たぶん私はその時、何かを受け入れたの
だと思う。人生かもしれないし、自分という存在だったのかもしれ
ない。腑に落ちた、という感覚だった。
 それからしばらくして、私はもう一度、ピアスをした。
 ピアスをしようかな、と思った日にふらりとクリニックに向かっ
た。
 人生を変えたい、と思わないで、ピアスをしてみたかったのだ。
 私の耳にある四個のピアスの穴は、ピアスの穴以外、何物でもな
い。
 ピアスはそれを教えてくれた。

 あれからずいぶん月日が過ぎた。
 私もりっぱな中年だ。だからと言って、達観なんかできるはずも
ない。毎日、さまざまな葛藤と戦っている。
 「どうして靴下がこんなところに脱ぎ捨ててあるわけ?」という、
家人に対するちんまりした不満から、「このシワとシミを何とかし
たい」という俗っぽい欲望から、「私はいつまで小説を書いていけ
るのだろう」という個人的な焦燥から、「この先、日本はどうなっ
てしまうのか」という途方もない現実まで、日々、心は揺れている。
 ずっとジタバタしながら生きて来て、わかったのは、これからも
ジタバタしながら生きてゆくしかないのだろう、ということだ。

 今、占いやジンクスを信じるか、と問われれば、信じないけれど
ちょっと気になる、と答える。
 朝のワイドショーの、八時直前の「今日の運勢」はとりあえず見
てしまうし、新聞や女性誌の占い欄もほぼチェックする。
 その時は、なるほど、と思う。今日はアンラッキーのようだから
言動に気をつけよう、とか、今日は金運がいいらしいから期待しよ
う、などと、いちおう心に留める。
 でも大概の場合、五分もたたないうちに忘れている。
 今日ももちろん見たし読んだけれど、もう何も覚えていない。
 それでいい。
 それで、不都合なんて、一度もなかった。
 そして、これからもきっとない。
 そのことだけは、もう知っている。

●インフォメーション


最近の唯川さんの決意…今年こそ、庭のたらの芽を取りそこねないようにしたい。


4月22日、山形市の遊学館で唯川恵さんの「小説講座&トークショー」が開催されます。お近くの方はぜひお運びください。

                (編集部記)

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