大和書房 WEB限定連載

いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵

vol.6  白シャツの呪縛



 若い頃から、白シャツへの憧れがあった。
 何でもない白シャツを格好良く着こなせる、それがお洒落の基本
と信じていた。
 みなさんにとっては古いかもしれないけれど、オードリー・へプ
バーンが「ローマの休日」で着ていたものとか、ジェーン・バーキ
ンが不機嫌そうな顔つきで羽織っていたものとか。
 さり気なく着ているからこそ、とても素敵に映った。

 十代の頃は、白シャツは学校の制服の延長上にあった。
 私は町の洋品店の「学校指定」の白シャツを着ていたけれど、お
洒落な女の子はもちろんそんなものは着ない。襟の形が少し違って
いたり、前立てのステッチが効いていたりした。そういうのが欲し
かったけれど、買ってもらえるはずはなく、自分のお小遣いにも余
裕がなくて、諦めるしかなかった。
 二十代になると、少しは洒落た白シャツを買うことができるよう
になった。
 けれども、素材はコットンや麻が多く、そういうものはとにかく
シワになる。クリーニングに出すのがもったいなくて、自分で洗う
わけだけれど、となるとアイロン掛けが大変だ。着ている時間より、
アイロン掛けの時間の方がかかるのでは、と思えたくらい。という
わけで、白シャツを頻繁に着るには決心がいった。
 三十代にバブルがやってきた。
 言うに及ばず、ブランドの服が大流行だった。シンプルな白シャ
ツなんて誰も着やしない。白シャツでも胸に大きなブランドロゴが
付いていたり、ボタンがロゴだったり、地模様にロゴが織り込まれ
ていたり、とにかくロゴが主役を張っているようなのばかりだった。
そして、私ももちろんそんなのが好きだった。その頃の私は、白シ
ャツを格好良く着る、という点で道を踏み外している。

 白シャツは素敵。
 そして、とても難しい。
 ほんの少しの、襟の大きさや立ち加減、ボタンの位置、生地の質、
カッティング、シルエット、それらの違いではっきりと差がつく。
 加えてメンテナンスも面倒だ。
 何より汚れが目立つ。襟を立てるとファンデーションが付くし、
袖もすぐに黒ずむ。大切に保存しておいたつもりでも、翌年に取り
出してみると、汗染みがついていたり、微妙に生地が焼けていたり
する。ある意味、消耗品であり、2シーズン着られればよし、とす
べきものなのだろう。となると、出せる金額や、元を取るにはどれ
くらいの割合で着回せばいいのか、も考える。
 何より、シンプルなゆえに、着こなしや、合わせるアクセサリー
の趣味などで、その人の在り方みたいなものまで映し出される。

 四十代になって、気がついたら、パリッとした白シャツが似合わ
なくなっていた。顔や身体がくたっとした分、生地や形の潔さに負
けてしまうのだ。それで、少し柔らかな素材とか、生成り色がかっ
たものとか、袖山に二つ三つダーツが取ってあるものに袖を通すよ
うになった。シンプルなシャツというのは意外と体型が出てしまう
ので、スカーフやカーディガンでごまかすようにもなった。スカー
トやパンツにインするのも、腰周りがもたもたしてしまうので外に
出し、そこに羽織ものを巻いて、ウエストあります、みたいなスタ
イルをしていた。

 そして五十代も半ばを過ぎた今、白シャツはきっぱり諦めた。
 体型はもちろんのこと、顔色とのコントラストを考えたり、汚れ
を気にしたり、ストレッチが効かないのを窮屈に感じたり、組み合
わせるものを選んだり――、似合う似合わないの前に、そういうこ
とを考えるのが面倒くさくなってしまったのだ。
 今、私のクローゼットの中にある白シャツは一枚だけ。それもス
トレッチ性があって形状記憶のもの。もちろん一枚では着ない。セ
ーターの下に着てちょこっと襟やカフスだけ見せるためのものであ
る。

「駄目よ」
 と、彼女はきっぱり言った。
「そういうところから、どんどん女は駄目になってゆくのよ」
 自分を甘やかすと、体型はもちろん、緊張感も失せて、老けてゆ
くばかりだ、と言うのである。だから頑張って「いつまでも白シャ
ツの似合う女」であることを自分に科せ、と。
 私は彼女に言い返した。
「そういう頑張り自体が、もうしんどくなったのよ。この年になれ
ば、自然体でいいんじゃない?」
「自然体って何よ。ウエストはゴム、生地はすべてストレッチ、チ
ュニックで寸胴を隠す、それが自然体ってこと? お洒落はラクに
逃げたら終わり。お洒落を忘れたら女も終わり」
「じゃあ、言わせてもらうけど、あなたの選ぶ服ってどうなの? 
単なる若作りなんじゃないの。はっきり言って、痛いのよ」
「ふん、それは僻みと偏見よ。いったんそっちに行ったら二度とこ
っちに戻れなくなる。私は何より、こういう服が好きだし、いつま
でも着られる自分でありたいの」
「あなたは着ていて楽しいかもしれないけど、周りにどう映ってい
るか、時には冷静に考えたら。いい年なんだから、好きな服じゃな
くて、似合う服を選ぶべき」
「この年になればこういう服、そんな考え自体がすでにババ臭い。
ファッションはもっと自由であるべき。冒険心がなさすぎる」
「良識がないよりマシよ。あなたはファッション雑誌に踊らされ過
ぎてるだけ」
「あなたは年齢に囚われ過ぎてるだけ。ミラノマダムを見てごらん
なさいよ」
「ここは日本。だいたい、顔も体型も典型的なモンゴロイドだし、
較べる方がどうかしてる」
「うるさい」
「ほっとけ」

 このやや過激な会話は、まだどこかで若さにしがみつこうとして
いる見苦しい私と、何もかも年のせいにして怠惰を容認しようとし
ている情けない私の会話である。

 ああ、今日も出掛ける時間が迫っているのに、着る服が決まらな
い。
 昨日まで「あれにする」つもりだったのに、今日になって手にす
ると「それは違う」になっている。
 頭を抱え、そして、いい年をしてこんなことで悩んでいる自分が
情けなくなる。
 クローゼットにはそれなりの数の服が並んでいる。その時々に、
組み合わせを考え、長く着られるものを吟味して買ったはずなのに、
今となってみると、なぜこれを買ったのか自分の意図がわからない。
 追い詰められた気持ちになって、「もうこれでいい」と半ばやけ
くそで手を伸ばす。
 そして、必ず後悔する。
「何で私、こんなの着て来たんだろう」

 戦いは続く――。

●インフォメーション


軽井沢は、連休明けぐらいに桜が咲くそうです。ソメイヨシノはなくて、山桜か八重桜だとか。

「華やかさはないけど、楚々とした姿もなかなかオツです。」と唯川さん。

東京のお花見とはまた違った趣がありそう。

                (編集部記)

title background ©yo--Fotolia.com

©2012 daiwashobo. all rights reserved.