大和書房 WEB限定連載

いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵

vol.7  “自分の城”あるいは“終の棲家”



 今まで八つの家に住んだ。

 最初は生まれ育った家である。
 私は石川県金沢市の出身なのだけれど、すぐ近くに浅野川が流れ
ていて、夜、布団に入るといつも川の音が聞こえていた。目の前に
卯辰山があって、あの頃頂上に建っていたヘルスセンター(温泉あ
り演劇場あり遊園地あり動物園ありの施設)から、ライオンやゴリ
ラの唸り声も、風に乗って聞こえてきた。
 進学も就職もすべて地元だったので、実家を出る機会がないまま、三十
歳まで住んだ。

 三十歳まで実家とは――。
 と、呆れる方もいるかもしれないが、あの頃は両親も私も、どう
せ嫁に行ったら家を出るのだからそれまでここで暮らせばいい、と
いう感覚だった。もっと言えば、家を出るのは結婚する時であり、
必ずその時がやってくる、と思っていた。

 でも、その時はやってこなかった。
 三十歳で家を出たのは、少女小説を書き始めたからである。

 新人賞をもらって一年後、勤めていた会社を辞めて、小説書きに
専念しようと決めた。
 その頃、私は完璧な夜型だったので、両親との生活サイクルが合
わなくなった。在宅の仕事でもあるので、四六時中顔を合わせなけ
ればならない。両親も私も、同居がだんだん息苦しくなってきた。
 というわけで、仕事部屋を持つ、という名目で家を出ることにし
たのである。

 引っ越したのは1DKのアパート。
 六畳の和室に、同じくらいの広さのダイニングキッチンが付いて
いた。これで誰にも遠慮せず明け方まで原稿が書ける、夜遊びも堂
々とできる、と、初めての独り暮らしに浮かれた。

 生活はなかなか快適だったけれど、二年ほど住んでハタと考えた。
「家賃って消えてなくなるもの。だったら、いっそ……」
 三十代独身女性なら一度は思うことではないだろうか。
 ちょうどバブルの始まりの頃で、世の中は浮かれ始めていた。今
ある預金を頭金にすれば、月々の家賃ぐらいの返済でマンションが
買える、とわかり、心は騒いだ。
 あの頃、独身でマンションを買うというのは、結婚を諦めたと同
義語に近かった。諦めたわけではないけれど、そういうチャンスは
訪れないかもしれない。これからの人生、あるかないかの未来に委
ねて生きていいのか。
 というわけで、散々悩んだ挙句、三十二歳の時、2LDKのマン
ションを購入した。三十五年のローンだった。
 小さなマンションだし、ローンの重圧もあったけれど「ああ、私
もついに“自分の城”を手に入れたのだ。ここが“終の棲家”にな
るのかもしれない」と、感慨に耽ったものである。

 けれども、そこには二年しか住まなかった。

 上京したのである。

 上京の理由は、小説が売れなくなったからだ。
 あの時、東京で暮らせるチャンスは今しかないと思った。今なら
まだ、何とか一年ぐらい暮らせる余裕がある。この機会を逃したら、
一生東京に住むなどできないだろう。金沢以外で暮らしたことのな
い私は、東京暮らしに漠然とした憧れがあった。一年間だけ我儘を
許そう、金沢に帰ったら就職先を探そう、と決めた。
 何より、帰って来られる“自分の城”がある。それがあるからこ
そ、決心できたのだと思う。

 上京して一年が過ぎた時、有難いことに少し仕事が増えた。
 それで、もう一年住もうと思った。二年たったら、あと一年何と
かなると思った。そうやって更に一年、また一年と、自主更新し、
気がついたら十三年も住むことになっていた。

 東京では四回、引っ越した。
 最初は三軒茶屋の1DKで、商店街が近くにあり、とても便利な
ところだった。下町で環境もよく、富士山も見えて、どこかのんび
りした雰囲気があった。家主さんの猫がしょっちゅう遊びに来て、
ペットと暮らすような楽しみも味わわせてくれた。
 そこには四年近く住んだ。
 少し小説が売れて来たので、仕事部屋と寝室を別にしたいと思い、
散歩の途中に見つけた2DKに引っ越した。
 まだ新しかったし、造りも凝っていて、すごく気に入っていた。
けれども、しばらくすると少し離れた場所に建っていたビルが壊さ
れ、国道246号線と高速道路の騒音がダイレクトに届くようにな
った。ほとんど一日中家にいる私にはそれが辛くて、次を探し始め
た。
 不動産屋を回って見つけたのは隣の駅の池尻大橋にある2LDK
だ。静かだし、買い物にも便利で、呑み屋さんもたくさんあり、目
黒川の桜もよく見える場所だった。空き巣に入られるという痛い思
いはしたけれど、とても居心地のいい部屋だった。

 ところが、わからないものである。
 縁あって結婚することになった。その上、犬も飼うことになり、
転居せざるをえなくなった。
 次に引っ越したのは、古い小さな一軒家だ。駒沢公園が近くにあ
って、犬の散歩にも便利だし、小さいながら庭もあった。

 もちろん、すべて賃貸である。

 賃貸暮らしは自分に合っていたように思う。確かに家賃は消えて
ゆくものだけれど、その時々に、自分の生活スタイルや経済状態に
応じてふさわしいところに住む、これはとても自然な形ではないか。
 それに、別に持ち家でなくても、どの住居も、私にとっては“自
分の城”だった。その実感があった。
 私は金沢で持っていたマンションを手放すことに決めた。ものす
ごく値下がりしていたのはショックだったけれど、住まない家の管
理は大変だったし、ローンからも解放されてホッとした。

 それから三年後、思いがけないことに、軽井沢に移住することに
なった。
 飼った犬が東京の暑さに耐えられなくなったからである。

 冬の寒さは厳しいけれど、今のところ、こちらでの生活は穏やか
で快適だ。
 再び持ち家になったわけだが、それとは関係なく、今はここが私
の“自分の城”であることは間違いない。

 ただ、では“終の棲家”になるのかと考えると、そうとばかりも
思えない。
 今までそうであったように、これからも私を取り巻く環境はさま
ざまに変わってゆくだろう。
 もしかしたら、またひとりに戻る時が来るかもしれない。体調を
崩してしまうかもしれない。年をとればできなくなってゆくことも
増えるだろう。遺す子供がいるわけでもない。犬のために引っ越し
たのに、犬は二年前に逝ってしまった。
 病院や施設にお世話になることも十分にありうるし、それに抵抗
を持つような意識も持ちたくない。
 ここを“終の棲家”と決めることで、却って自分を縛ってしまい、
生きづらくなってしまうのではないかと思えるのだ。

 そして、決めた。
 どこに住んでも“自分の城”に思えること。
 どこであっても“終の棲家”と決めないこと。
 これが、これからの私の暮らしの原点でありたいと思う。

●インフォメーション


唯川さんから近況が届きました。


「こちらは、ようやく新緑の季節を迎えています。
 春先には、まだ鳴き方が下手で、ホーホーしか鳴けなかったウグイスも、ずいぶん上手くなり、ケキョまで到達するようになりました。
 登山の季節でもあります。
 今年は浅間山に何回登れるだろうと、眺めながら考えてます。」


 浅間山、一度登ってみたいです!(担当編集K)

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