大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.12  栗が落ちてきた



 この時期、一日中、ぽとん、ことん、もしくは、ぽとことん、と
いう音が聞こえてくる。
 駐車場の屋根に栗が落ちる音だ。
 毎年毎年、栗は実を付け、気がつくと屋根の三分の二くらいが落
ちた栗で覆われる。
 軽井沢に移住した当初、野生の栗が目の前に落ちている、という
のが驚きで、せっせと拾い、茹でて食べた。品種はよくわからない
のだけど、みんな「山栗」と呼んでいて、実は小さいが甘味が強く
ておいしい。
 とは言え、栗を食べるのはちと面倒くさい。固い皮を剥いても、
渋皮が残るし、爪の先が黒くなる。努力の割に実は少ない。そんな
わけで、最近はそのまま放置してしまっている。
 風雨にさらされた栗は、やがて地に還ってゆく。
 その様子を見ていて、ふと、このまま放っておいたら、いずれ芽
を出し、庭は栗の木だらけになってしまうのではないか、と思った。
でも、十年近くたってもそうはならない。栗の実は種なのではない
のか。不思議だ。
 それにしても、この栗の木は気前がいい。肥料をやるわけでもな
いのに毎年、たわわに実を付け、惜しげもなく実を落とす。こう言
っては何だけど、誰も食べないのだからそこまで頑張らなくてもい
いじゃないの、と思うのだが頓着しない。そして、食べないままの
栗が黒く変色してゆくのを見るにつけ、後ろめたい気持ちになって
しまう。
 栗は食べられようが、放ったらかしにされようが、まったく意に
解さない。
 褒めてもらえないことはやっても無駄、得できないことは損、す
べてをそんな風にしか判断できなくなっている自分が恥ずかしくな
る。

 子供の頃、近所の到る所に、実のなる木が植わっていた。
 柿、枇杷(びわ)、石榴(ざくろ)、杏、茱(ぐみ)、などなど。
うちの庭にも無花果(いちじく)の木があった。どの家も、特別な
肥料などあげてなかったと思う。それでも、その季節が来ると、ち
ゃんと実をつけてくれる。農家ではなく、普通の住宅街の話である。
 学校の帰り、通りに伸びた枝からそれをこっそりもぎ取って食べ
るが楽しみだった。だいたいが固くてすっぱくて渋みがあって、そ
んな美味しいものではなかったけれど、道草で食べる果実は、駄菓
子屋のお菓子と同等の、いやそれ以上の味わいがあった。
 だから、それらの果物は、スーパーではほとんど見なかったよう
に記憶している。果物とさえ呼んでなかったように思う。
 そのせいか、私は今でも、スーパーに行って、柿や枇杷や石榴や
杏や茱、そして無花果にお金を出して買うことに、わずかな抵抗を
感じてしまう。たまに買っても、美しく熟れて、どっしりと重く、
果汁に溢れ、甘味の強いそれらを、どこかで別の果物と思っている。
 今、子供の頃の果実を食べても、ちっとも美味しくないとわかっ
ている。それなのに、あの味を、懐かしんでいる私がいる。身勝手
なものだ。

 さて、信州の秋の味覚といったら、やはりキノコだろう。
 うちの周りにもさまざまなキノコが生える。真っ白なの、真っ赤
なの、斑点がついてるもの、じゃがいもみたいにころんとしたもの、
平べったいもの、びっくりするほど大きいもの、つくしみたいに細
くて小さいもの、ひらひらしたもの、木の幹からにょっきり顔をだ
しているもの、様々にある。
 野生のキノコを食べる習慣も度胸もないので、私にとって、それ
らは「キノコが生えた」という認識でしかない。
 以前、うちに遊びに来たキノコに詳しい人が、うちの庭に生えた
キノコを見て「これはリコボウといっておいしいよ」と言った。
 でも、とても食べる気にはなれなかった。「よかったら、持って
行ってください」と言うと、「そう、悪いねえ。今夜、鍋に入れよ
う」と、嬉々としてその人はキノコを摘んでいった。
 私は心配でならなかった。おいしいという話だったが、見た目は
薄茶色の傘を持つ直径五センチくらいの平凡なキノコで、だからこ
そ、もし間違えていたら……と想像すると、気が気じゃなかった。
うちのキノコで何かあったら寝覚めが悪いではないか。
 翌日メールで「どうだった?」と聞くと「最高においしかった」
という返事をもらってホッとした。
 今も、その辺りにリコボウらしきキノコが生えるが、やっぱり食
べる気にはならない。

 自然に生えたものはすべて頭に天然が付き、確かに天然しめじも、
天然なめこも、天然舞茸も、すばらしくおいしい。収穫量が少なく
て、市場には出ない貴重なキノコもあり、行きつけの店でいただく
のが、秋の楽しみのひとつでもある。
 地元の方は、さすがに目利きでキノコを自分で採ることが多いと
聞く。晩秋の別荘地にも、キノコ採りの人がよく入ってくる。そう
いう人は、キノコは採るもので、スーパーで買うものではないのだ
ろう。
 でも、私にとって、キノコはスーパーで買うものの筆頭だ。
 柿や無花果とはまったく違う。

 以前、こんなこともあった。
 家の周りを散歩していると、顔見知りの女性と会った。挨拶を交
わすと、女性は少々上気した表情で言った。
 「今ね、めったに採れないすごいキノコを見つけたの。せっかく
だから、半分お裾分け」
 と、新聞紙にくるまれたそれを差し出した。
 「スープにすると最高。このキノコを探している人、多いのよ。
見つけられて、ほんとラッキーだった」
 と、女性はうきうきした表情だった。
ありがとうございます、と、いただいたものの、新聞紙を広げて、
固まってしまった。
 そこにあるのは、真っ赤なキノコだったからである。
 これは典型的に食べてはいけない部類に入るキノコではないのか。
平凡な姿をしたキノコにも毒があるのに、これはまさに「毒、入っ
てます」と主張している類のものではないのか。
 あの女性に恨みを持たれる覚えはないはず、と、自分に言い聞か
せた。関係は良好だ。とんでもないキノコを食べさせよう、などと
企てるはずもない。あの表情は本当に嬉しそうだった。間違いなく、
あの女性はスープにして食べるだろう。
 家に帰って思案した。
 食べるか、食べざるべきか。
 そんなにおいしいの? 今まで食べたことがないくらいに? そ
んなに珍しいキノコなら食べてみたい。でも、怖い。
 と、迷った挙句、その日の夕食は、馴染みの店に行くことにした。
そこにこのキノコを持ちこんで、間違いないなら料理してもらうこ
とにしたのだ。
 間違いなかった。
 それは「タマゴダケ」という名前のキノコだった。
 女性の言った通り、とてもめずらしく、おいしいキノコという。
スープにしてもらって飲んだら、確かに旨みの強い、深い味わいが
口の中に広がった。

 タマゴダケを調べてみると、最初は真っ白なタマゴの殻のような
ものが地面から現れ、やがてそこから紅いキノコの傘が伸びてくる。
ベニテングダケに属している、というのも驚きだった。思い込みだ
ろうが、スープを飲んだら妙にテンションが上がったような気がし
た(もちろん、しただけ)。

 あれから、時折、散歩の途中にタマゴダケを見つける。タマゴの
殻状もあれば、そこから伸びて赤いキノコになっているものもある。
 私は確信する。
 うん、あれはタマゴダケだ。絶対に間違いない。時には「あれは
ね、すごくおいしいキノコなのよ」と、知った顔で他人に説明する
時もある。
 でも、採って食べようとは思わない。
 私にとって、キノコは永遠にスーパーで調達するものなのである。

●インフォメーション


*軽井沢はすでに朝晩氷点下で、床暖房と薪ストーブは欠かせないとか。

*11月13日(火)宇都宮市で唯川さんのトークショーが開催されるそうです。詳しくはJTフォーラムまで。

*『今夜は心だけ抱いて』集英社文庫が絶賛発売中。(編集部記)

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