大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.14  遠い東京、近いあの日



 先日、久しぶりに上京した。
 ここのところ東京に行くのが少し億劫になっていた。
 寒くなって、東京との温度や気候の差が激しく(寒暖差十五度と
か、晴天と雪とか)、ホテルに泊まるとなかなか熟睡できないし
(乾燥が辛い、掛け布団が薄い)、田舎に暮らしているので、都会
の人の多さに酔ってしまうせいもある。
 もしかしたら、距離もあるだろう。
 私の住む軽井沢と東京は、一時間強もあれば着いてしまうのだけ
れど、長野、群馬、埼玉、東京と、三つの県とひとつの都をめぐる。
その距離が、乗車時間とは関係なく、やけに長く感じてしまう時が
ある。まあ、気持ちの問題である。

 上京したのは、あるパーティに誘っていただいたからだ。
 そんな華やかな場に出るのも久しぶりだった。
 今回のパーティは、出版社が主催しているのだけれど、いわゆる
作家が集うものではなく、社内社外の営業関係の方々の催しである。
 パーティは、これで結構難しい。
 すんなり雰囲気に馴染める時もあるけれど、自分の立ち位置が見
つからなくて、居心地の悪いまま途中で抜け出してしまう時もある。
 そのような場にしばらく行ってなかったので、感覚がつかめず、
会場に入る前、私は妙に緊張していた。
 だから、受付で知っているHさんと出会えて、どんなにホッとし
ただろう。

 Hさんとは、今から三十年近くも前、私が少女小説でデビューし
て間もない頃から、一緒にいろんな土地を回った間柄である。
 主に書店さんで行われる、サイン会やトークショーといったイベ
ントだった。
 思い出すのは、初めてひとりでサイン会を行った時のことである。
 まだ、一冊か二冊しか本を出してなくて、知名度などまったくな
く、この先どうなるかもわからない状況だった。営業担当のHさん
は、この先行き不安な新人作家を売り出すため、書店さんを回り、
何度も頭をさげて、そういう場をセッティングしてくれたのだった。
 売れっ子作家のサイン会は、人が会場に入り切れず、廊下や階段、
書店の外にまで列が作られるという。もちろん、そんな大それた期
待は誰もなく、どうかひとりでも多くの方が来てくれますように、
と祈るような気持ちだった。
 当日、書店さんはりっぱな会場を用意してくれた。机に積み上げ
られた本と何本ものサインペン。さあ一冊でも多く売らなければと、
私は緊張しつつも張り切っていた。
 ところが、誰も来ないのである。
確かに期待はしていなかったけれど、ここまでとは思っていなかっ
た。本当に、見事なぐらい、誰も来ないのだ。
 店内では、がんがん放送がかかっている。「ただいま、唯川恵の
サイン会を行っております。ぜひお立ち寄りください」
 と、必死でアピールしてくれる。でも、来ない。ぜんぜん来ない。
 机の前で、何もすることがない私は、ただじっと自分の手を見て
いた。情けなさと恥ずかしさで、顔を上げることもできなかった。
 あの時の辺りに漂う重苦しい雰囲気が忘れられない。
 結局、予定されていた一時間で、来てくれたのは三人だけだった。
(あの時の三人の方には本当に感謝)
 終了後、控え室にすごすご引き上げた。申し訳ない気持ちでいっ
ぱいだった。これだけ準備をしてもらったのに、何の成果も上げら
れなかった……。
 Hさんと顔を合わせて、私は謝ろうとした。すると逆に「すみま
せん」と、Hさんから頭を下げられてびっくりした。
「人が集まらなかったのは、こちらの段取りが悪かったからで、あ
なたのせいじゃない。気にすることはない」
 私に気遣ってくれているのだった。
 たった三人、という現実に打ちひしがれていた私は、涙がでそう
なくらいその思いやりが身に沁みた。

 そんな話をHさんとした。
「そうか、あれからもう三十年近くもたったんだなぁ」
 と、Hさんは笑った。私も笑った。
 見ればHさんの髪は白くなり、私もすっかりおばさんである。
 そう、遠い遠い昔の話。でも、私には昨日のことのように鮮明に
思い出される。
「あの時は、もう小説家なんて続けられるわけがないと思ってまし
た」
「でも、こうして続けて来られたじゃない」
「ほんと、びっくり」
「正直言うと、僕もびっくり」
 そして、また笑い合った。
 あの時の私に教えてあげたい。
 大丈夫、三十年後に、それは笑い話になっているよ、と。

 若い頃、うんと年上の人たちが、あの時はああだったこうだった、
と、昔話に花を咲かせているのを見て不思議に思った。過去の話な
んかして何が面白いのだろう。
 でも、今は少しわかる。
 過去の話をするのが楽しいというよりも、過去の話をこうやって
一緒にできる人がいてくれることが嬉しいのだ。

 上京までの一時間少しが、遠い旅のような気もすれば、三十年近
くも前のサイン会が昨日の出来事のように感じられる。
 時間は生きているんだな、と思う。
 私の人生の周りを、時に遠く、時に近く、生き物のように動き回
っているんだなと思う。


<インフォメーション>


 唯川さんから新年のメッセージが届きました。

「あけましておめでとうございます。

 このエッセイは今年も続く予定なので、どうぞよろしくお願いします。

 小説新潮に短編を書きました。『怪猫伝 異譚』。怪談です。化け猫の話を、私なりに解釈、アレンジして書いてみました。よかったら読んでみてください。」

 今年もこの連載をどうぞよろしくお願いします。

編集部記

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