大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.15  賭けの神様



 私は、賭け事はしない。
 競馬も競艇もパチンコも、若い頃に少しばかり手を出したことも
あったけれど、今はしない。
 まず、勝ったためしがない。だから、勝った時の高揚感を経験し
たことがない。逆に、ものすごく負けたこともないので(賭け金が
小さいせいもある)、次こそは勝ってやる、という強烈な闘争意識
もない。だから、続かなかったのだろうと思う。

 そんな私が、どういうわけか麻雀教室に通ったことがある。
 今から二十年ほども前の話だ。
 麻雀を賭け事の範疇に入れるかどうかは、難しい。麻雀はゲーム
であって、それを賭博にするかは本人たちの問題だ。それでも、勝
つことで何かご褒美がもらえるものは、それが何であろうと賭博の
要素を含んでいる。たとえ、そのご褒美が会員カードに押してもら
える★マークだったとしても。

 どんな心境で麻雀教室に通い出したかは、もうはっきりとは思い
出せないのだけれど、私は渋谷の雀荘で開かれていた、女性のため
の麻雀教室に申し込んだ。
 十卓ほど並ぶ雀荘だったが、イメージとはまったく違っていて、
とても清潔感のある場所だった。夜は普通の雀荘として使われてい
るようだが、タバコのにおいもしないし、床にラーメンのシミもな
い。受講生は四十人ほどで、ビシッとスーツを着た講師が三、四人、
卓の周りを回って質問に答えたり、人数が足りなければ一緒に卓を
囲む、という形式だった。
 受講生の平均年齢は六十代半ば、といったところだ。上は八十代
の方もいらした。私はまだ三十代だったので、小娘同然だった。
 とにかく、見るからにお金持ちそうな、きらびやかなマダムたち
がたくさんいた。髪は美しくセットされ、服は洒落ていて、指には
大きな指輪が光っていた。
 そんな女性たちの「あら、それポン」とか「うふふ、リーチ」と
か「ごめんあそばせ、ロン」とか「やぁだ、振り込んじゃったわ」
など、優雅な言葉が飛び交っていた。
 教室といえども、もちろん勝ち負けはあるわけで、それなりの葛
藤を胸に秘めてはいるだろうが、いつもニコニコし、そんな表情は
いっさい見えなかった。
 私は初心者なので、同じ時期に入った女性たちと卓を囲んだ。講
義があってすぐ実践。わからなくなると講師に来てもらって、どの
牌を捨てたらいいか、可能性としてどんな役を目指せるか、などを
教えてもらう。始めると楽しくて、講習の三時間があっと言う間だ
った。
 やがて、私は一緒に始めた女性のひとりが気にかかるようになっ
た。
 私より少し上くらいの年齢で、髪をふわふわとカールさせ、フリ
ル系の服を好み、口調がおっとりした、ちょっと浮世離れしている
というか、不思議な雰囲気の人だった。
 ある日、彼女が四暗刻だったか大三元だったか、役満で上がった。
私が「すごいですねえ」と言ったら、彼女はにっこり笑って「神様
にお願いしたの」と答えた。
「神様ですか」
「そう、心の底から、私はあの牌が欲しいんですって」
 その時は、冗談としか思わなかったけれど、彼女を見ているうち
に少しずつ気持ちは変わっていった。
 彼女はものすごく強かった。
 もちろん、常に勝つわけではないのだけれど、ここぞという時、
きっちり勝負をものにする。それは無理だろう、というような牌を
さらりと引いて、ええっ、と、講師が驚くこともたびたびだった。
 ある日、講師が彼女に言った。
「あなたには雀士の才能がある」
 才能というのは何なのか。経験や技術だけではない。もちろんそ
れは必要だけれど、加えて、賭けの神様に愛されるかどうかが問題
だ。
 彼女を見ていると、確かに神様に愛されていると、私ですら感じ
た。決して勝ちを欲張っているわけではないのだが、欲しい牌があ
ると、信念というか怨念というか、集中力がものすごい。そばにい
る私にまで、びりびりとエネルギーが伝わってくるようだった。こ
れじゃ、神様も放っておけないだろうと思えた。
 彼女はあっと言う間に腕を上げ、すぐに中級コースに昇格し、ベ
テランのマダムたちと卓を囲むようになった。そこでも、彼女はみ
なから感嘆の声を浴びていた。
 半年ほどして、彼女は教室に来なくなった。聞くところによると、
プロの雀士試験を受けるために特別なコースに入ったそうだ。
 今頃、彼女はどうしているだろう。
 今も、賭けの神様に愛されているだろうか。

 努力とか、勤勉とか、真面目とか、それはとても美しい在り方だ
けれど、世の中は、それだけではどうしようもないことがある、と
いうのは誰でも知っている。
 もちろん、私も知っている。
 少なくとも、賭けの神様は私を愛してくれなかった。
 でも、だからと言って不満はない。
 賭け事で人生を狂わせた人を何人か知っている。その人も、最初
は賭けの神様に愛されたはずである。けれども、賭けの神様は気ま
ぐれでもある。あんなに寄り添ってくれていたのに、不意に背中を
向ける。でも本人は、愛はきっと戻って来る、と信じている。信じ
ているから、やめられない。そのうち、何もかも失ってしまう。形
のあるものも、ないものも、何もかも。
 私は愛されなくてよかった。むしろ、愛してくれなくてありがと
うございます、と言いたい。
 もし愛されていたら、私は今、小説を書いていられなかったよう
な気がする。

 とは言え、実は最近、また麻雀に興味が向き始めている。
 脳の劣化が顕著に現れるようになった。物忘れはひどいし、言葉
が出ない、名前が思いだせない、やはりトレーニングが必要だろう。
 もちろん、ひとりでできるトレーニングもたくさんある。
 ただ、毎日、ひとりで仕事をしているので、そういう時ぐらい人
と一緒に楽しみたいと思う。それに麻雀はぴったりではないか。
 賭けの神様は私を愛してくれなかったからこそ、勝ち負けとは別
の楽しみ、ある意味、本来の楽しみ方ができるのではないかと思う
のだ。


<インフォメーション>


「軽井沢は厳冬期に入っています。日中も零下の真冬日もちょくちょく。

 それでも、天気のよい日を選んで、冬山に登っています。スノーシューを購入したのですが、これが優れもので、楽しさ倍増。

 山の神様には愛されたいと思うのですが、どうでしょうか。」

と唯川さん。軽井沢の冬は時には−20度にもなるらしいです。その分、晴れた日の山は美しいのでしょうね!(編集部記)

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