大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.19  怖い話



 世の中には見える人がいるという。

 見えるというのは、もちろん「あれ」である。

 私の知人にもいた。
 一緒に呑んでいた時、その人がやけに店の一角を気にしているの
で「どうしたの?」と聞くと「立ってるの」との答えが返ってきた。
「立ってるって、何が?」
「中年の男の人」
 もちろんそこに人の姿はない。
 しばらくの沈黙の後、「もしかして見えるの?」と聞いたら、答
えはYESだった。
 酔っていたせいもあり、興味津々となって尋ねた。
「それって、いつから?」
「物心ついた時にはもう見えてた気がする」
「見えるのは、相手があなたに聞いてもらいたい話があるってこと
かな?」
「さあ、どうだろう」
「話しかけてみれば」
「それはやめておく」
「どうして?」
「面倒なことになるから」
「面倒って?」
「前に、家まで付いて来て、長く部屋に居座られたことがあるの」
「……」
 さすがに怖くなって、後は聞くのをやめてしまった。
 以来、その人と呑む時は「たとえ見えていても、私には絶対に言
わないで」とお願いしている。

 知り合いの編集者はこう言った。
「うちの子、時々宙を見つめて笑いかけるんです」
 うちは猫が、と、言った友人もいる。
「ふと顔を上げて、部屋の隅をじっと見る時があって」

 見えなくてよかったと思う。
 もし、見えるような能力があったら、気が散っておちおち仕事も
していられない。

 けれども、実はそれらしい体験はしたことがある。
 もうずいぶん昔、関西の古いホテルに泊まった時の話である。
 真夜中、ふと目を覚ました。
 コンコンコン、と、ドアをノックする音があった。続いて「ルー
ムサービスでございます」との声が聞こえてきた。
 私の部屋ではなくて、ふたつか三つ離れた部屋のようだった。ぼ
んやり聞いていたが、いつまでたっても止まない。
 コンコンコン、「ルームサービスでございます」。コンコンコン、
「ルームサービスでございます」
 さすがにそれが二十分も続くと落ち着かなくなった。
 恐るおそるドアに近づいて、スコープから廊下を覗いてみたが、
見える範囲は狭く、誰の姿もない。
 私は自分に言い聞かした。
「きっと部屋の人が寝込んで、律儀なホテルマンがドアをノックし
続けているに違いない」
 けれども、そうであれば、いったんフロントに戻って部屋に電話
を掛けるのではないか、とも思う。
 ドアを開けて確認する勇気はなく、私はテレビを点け、ボリュー
ムを上げ、頭から布団をかぶり、朝を迎えた。
 あれはきっとホテルマンの……いや、まさか…………だって、そ
うとしか思えない……でも……。
 今も謎のままだ。

 こんなことを書いてしまうのも、先日、とてつもなく怖いドキュ
メンタリーホラー小説を読んだからだ。
 小野不由美さんの『残穢』という作品で、その怖さといったらと
びっきりだった。
 読みだしたら、あまりの怖さに途中でやめることができなくなり、
最後まで読めばそれなりに納得できる結末が待っているに違いない
と期待していたのだが、最後がいちばん怖かった。

 私の住む土地は一日の気温の差が激しいせいもあって、家の中で
しょっちゅうビシッ、バシッと鳴る。木材の収縮や膨張のせいとわ
かっているのに、その夜ばかりは、別の何かがいるような気がして
なかなか眠れなかった。

 そんな時、ベッドで丸まりながら、私はふと、あるミュージシャ
ンの話を思い出した。
 コンサートを終えて、ホテルに戻り、ベッドで寝ていると、真夜
中、何やら気配を感じて目を覚ました。枕元に女性がひとり座って
いた、というのである。
 あまりの驚きに、叫びそうになりながらも、そのミュージシャン
は考えた。
「これが、幽霊か人間、どっちの方が怖いだろう」

 幽霊は怖い。
 でも、人間だったらもっと怖い。

 その話を思い出し、私は何とか自分を落ち着かせた。
 もし今夜、目の前に何かが現れたとしても「人間でなくてよかっ
た」と、思えばいいのだ、と。

 ちなみに、そのミュージシャンの枕元に座っていたのは、生身の
人間だったそうだ。
 さぞや身が竦んだことだろう。


<インフォメーション>

唯川さんより。

「立川志の輔さんの落語を聞きに佐世保に行きます。

 プライベートの旅行は久しぶり。

 佐世保も初めてなので、今から楽しみです。」

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