大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.20  佐世保に酔う



 佐世保に行って来た。
 初めて訪ねる地である。JR最西端の駅。海はすぐそこ。降り立
った瞬間、潮の香りに包まれた。

 行きは新幹線と電車を乗り継いで、十時間ほどかかった。
最初は、十時間なんてどうしよう……、と怖気づいていたが、車窓
を眺め、お弁当を食べ、本を読み、居眠りするという、確かに長旅
ではあったけれど、とても優雅な時間となった。

 佐世保は魅力的な町である。
 海と山とに挟まれていて、ふたつの景色を同時に楽しめる。古く
から外国との交流を持ってきた土地柄のせいもあって、他者を受け
入れる大らかな気質がある。
 到着してすぐ、駅から車で十五分ほど走って九十九島パールシー
リゾートに連れて行ってもらった。リアス式海岸の群島で、九十九
島と言っても実際には二百以上の島がある。入江は整備され、海風
は心地よく、波は静かで、シーカヤックで遊ぶ人、犬の散歩を楽し
む人、ランニングする人、カップルは肩を寄り添い、子供たちはは
しゃぎ声を上げ、ベンチでは年配の方がゆったりと夕暮れを楽しん
でいた。
 久しぶりに海風に当たりながらぼんやりしていると、すうっと肩
から力が抜けて、時間を忘れてしまいそうだった。
 島々を見渡すには、近くの弓張岳の展望台が最高だと言われ、そ
ちらにも連れて行ってもらう。確かに、視界320度、夕刻の柔ら
かな日差しの中で群島が海に点在する景色は素晴らしかった。

 素晴らしいのは、食べ物も同じだ。
 さすが海の街。鯵、鯖、烏賊、その他の魚介類が大皿に盛られて
出てくる。新鮮なので味が濃い。歯応えもたまらない。それがまた
地元の甘めのお醤油とよく合う。お酒との相性も抜群。佐世保は焼
酎が有名だが、日本酒もいける。他にも、じゃこ天や角煮やおでん
も美味しくて、勧められるままたらふくいただいてしまった。

 順番が逆になってしまったが、佐世保を訪ねた理由は、落語を聴
くためである。
 実は、軽井沢で知り合った方が故郷に戻り『佐世保かっちぇて落
語会』を主催している。営利を目的としない、志だけで集まった皆
さんたちの手作りの会である。
「かっちぇて」とは佐世保の方言で「仲間に入れて」という意味と
のこと。会はすでに六回目となり、前座はいつも地元の子供たちが
務める(佐世保オリジナルの創作落語である)。そして、メインプ
ログラムは、チケットが手に入らないことで有名な、立川志の輔師
匠。
 有難いことに、そのイベントに声を掛けていただいたのである。

 落語に関して、私などまったくの素人でしかないが、それでも志
の輔師匠の人気ぶりは知っている。いつかチャンスがあったらぜひ
聴きたいと思っていた。
 会場は満員で、特設の席が設けられるほどの盛況だった。
 子供たちの前座が終わり(これがかなり笑える。地元ネタなので、
地元の方々は尚笑える。そこが羨ましい)、いよいよ志の輔師匠の
登場である。
 師匠といえども、子供たちの後というのはどことなくやりづらい
のではないか、と思った。技術とは関係なく、一生懸命で愛らしい
落語は、それだけで強力な武器だ。俳優が、動物と子供にはかなわ
ない、と言うのと似ているかもしれない。
 が、当然だが、そんな懸念など無用だった。
 子供たちを賞賛しつつ、師匠はあっという間に観客たちを引き込
んでいった。

 最近、私はどこかで笑いに関して懐疑的になっているところがあ
ったように思う。
 たまにテレビのバラエティ番組を観るけれど、ちっとも笑えない。
私がついていけないだけかもしれないが、いったい何が面白いのか
わからない。何か違う。その何かはうまく説明できないのだけれど、
私にとっての笑いは、これでないことだけはわかる。だったら、偶
然撮れた子供や動物の面白映像の方がよほど面白いではないか、と、
思ってしまう。

 けれど、師匠の最初の演目の創作落語『親の顔』は、とにかく笑
った。
 ただ、もう、無防備に可笑しい。そうそう、これなんだ、と、忘
れかけていた笑いの感触が蘇って来るようだった。

 次は、古典。
『新・八五郎出世』の半ばまでの演目。

 驚いた。心底、吃驚した。
 内容をあまり書いてはいけないだろうから、大雑把な説明になっ
てしまうが、八五郎には「つる」という妹がいて、嫁ぎ先に会いに
ゆく、という話である。
 八五郎は酒好きな駄目な兄貴で、嫁ぎ先でも失態を繰り返してし
まい、そこが笑えるところでもある。
 そんな八五郎に呆れながら聴いていたのだが、八五郎が、一言、
「つる、きれいになったなぁ」と言う。
 驚いたことに、その瞬間、わっと涙が溢れて来た。
 何が起きたのか、自分でもよくわからなかった。
 その一言を聞くまで、泣くなんて思ってもいなかったのだ。むし
ろ、笑っていた。
 それなのに、ここに泣いている私がいる。
 その一言で、駄目な兄の八五郎の優しさが、切ないくらいに伝わ
って来たのである。

 これが話芸というものなのか――。

 小説だったら、と、私は考えられずにはいられなかった。
 こうはいかないはずだ。泣かせるために、伏線を張り、少しずつ
盛り上げていき、感情を昂らせておいて、決めの一言を入れる。つ
まり、ストーリーや構成が人を泣かすのだと思っていた。
 でも、落語はそうではなかった。

 志の輔師匠の語りをそのまま文章に置き換えたとしても、やはり
泣けないだろう。
 もっと言えば、別の噺家さんが同じ話をしたとしても、みんな泣
けるわけではないだろう。

 そう、それが話芸というものなのだ――。

 ただただ驚くばかりだった。

 すごかったね、よかったね、あれは芸術だね、と同行者と興奮し
ながら、会場を後にした。
 もちろん、そのまま帰るはずもなく、海の匂いのするサンプラザ
アーケードを歩いて、ジャズバーに行った。
 生演奏を聴きながら、またひとしきり、落語の話で盛り上がった。
 佐世保の夜は、深く静かで、耳の奥に絶えず波の音が響いていた。
 落語に酔い、お酒に酔い、佐世保の街そのものに酔う、贅沢な旅
となった。


<唯川さんからのインフォメーション>

 もちろん、有名な佐世保バーガー、ちゃんぽん、皿うどんも食べました。
 パールシーリゾートにある水族館もとてもよかったです。高級魚のクエ(アラとも呼ぶ)があんなに大きな魚と知ってびっくり。


 講談社文庫より『雨心中』が発売されます。
 血の繋がらない姉と弟の、妖しい関係が軸となっています。
 同じく講談社の「IN☆ポケット」という情報誌に、インタビューが載っています。
 よかったら、手に取ってみてください。

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