大和書房いつまでもたどりつかない日記〜小説家は3度嘘をつく 唯川 恵 WEB限定連載

 

vol.21  エイジングvsアンチエイジング



 最初に気が付いたのは、インタビューを受けていた時だった。
 もう十年ほど前の話である。新しく出版した本の取材だった。イ
ンタビュアーとは初対面なので、少し緊張していたというのは確か
にあったかもしれない。
 話している途中、急に身体が熱くなった。カーッと燃えるような
感じだ。しばらくして、汗が流れ始めた。慌ててハンカチで押さえ
たが、どうにも止まらない。額というより、頭の中から湧き出てく
るといった具合だ。とりわけ暑い日ではなかった。場所はホテルの
一室で、エアコンも効いていた。
 インタビュアーは若い女性で、驚いたように「何でこの人、こん
なに汗をかいているんだろう」という顔をした。カメラマンも困っ
たと思う。ハンカチを使うたび、化粧がどんどん落ちてゆく。顔は
赤いし、鼻とおでこはテカテカで、髪はぺたっとしている。
 焦った。でも、汗は止まらない。自分でも、どうしてこんな状態
になっているのかよくわからなかった。

 もしや、と、気づいたのは、帰路のタクシーの中だった。
 もしや、これはホットフラッシュではないか。

 調べてみると、どうやら間違いないようだ。
 ホットフラッシュは更年期の代表的な症状のひとつである。他に
もさまざまな症状があって(のぼせ、動悸、めまい、むくみ、イラ
イラ、不眠、腰痛、等々)、すべてではないにしても、合致するの
が結構ある。
 その時の感想は「ついに来たか」と、いうものだった。

 更年期を迎えると「もう女じゃなくなった」とショックを受ける
女性もいるようだが、私は「ああ、私もまっとうな年の取り方がで
きているんだなぁ」と、妙な安堵があった。
 長い間、やたら不規則な生活をしていた。暴飲暴食、お酒とタバ
コ。ばらばらの睡眠。ろくに運動もしていない。子供も産んでない。
身体にいいことなど何もしていないのを、ずっと後ろめたく思って
いた。
 でも、こんな私にもそれはちゃんと訪れる。当然のことかもしれ
ないが、その時の私は何だか不思議な気がした。

 その頃から、私は徐々に解放されていったような気がする。
 アンチエイジング病、からだ。
 美人不美人とは関係なく、いや不美人だからこそ、せめて若くあ
りたい、若く見られたいという願望と抵抗があったが、もういいか、
という気になった。
 気を抜くと一気に老け込むわよ、と、美と若さに執着する知人か
ら言われた時は、確かにここで下りたらもう二度と「現役の女」に
は戻れないかもしれない、という感も持ったが、よく考えてみると、
私にとって「現役の女」ほど、ストレスの多い期間はなかったよう
に思う。
「現役じゃない女」が、私のこれからのステージになるのなら、そ
れも悪くないと思えた。

 そう言えば、その頃から老眼の兆候も現れた。
 どうにも細かい字が見えづらい。こういう仕事をしているので、
目は酷使する。疲れ目、かすみ目、ドライアイ、きっとそれだろう
と思っていた。
 ある時、同世代の友人とレストランに行った。店内は柔らかな照
明に包まれ、とても雰囲気がいい。メニューを渡されたが、字が小
さくてうまく読めない。鯛か鱸かわからない。目をそばめていると、
友人が「これで見れば」と、眼鏡を貸してくれた。掛けてみてびっ
くりした。ものすごくはっきりと読めたからだ。
「これは、もしかして?」
「そう、老眼鏡」
 彼女はやけに嬉しそうに笑った。
 おお、ついに来たか。
 この時も、そう思ったのをはっきりと覚えている。

 以来、老眼鏡(最近はリーディンググラスというのですね)は必
需品になった。
 仕事場にはもちろん、バッグの中にも、家中のいたるところにも
置いてある。食卓、居間、洗面台、クローゼット、化粧箱。
 先日、オットが困惑したように尋ねた。
「台所の栓抜きなんかが入っている引き出しの中に、眼鏡が入って
いたんだけど……」
 どうやら、とんでもないところにとんでもないものを入れる、そ
の症状ではないかと思ったらしい。台所では、商品の説明書きや料
理レシピを読んだりするから入れてある、と答えたら、心底、ほっ
とした顔をしていた。
 本当は冷蔵庫の中にも一本用意しておこうと思ったのだが(賞味
期限、消費期限の確認のため)、不安がらせるのは申し訳ないので、
今はまだ入れていない。

 老化と言われれば間違いない。
 私の身体は当然ながら、老化している。
 けれども、老化が悪いとばかりは決めつけられないこともわかる
ようになった。
 ホットフラッシュは今も続いていて、困ったなと思う時もあるが、
それでも、冬の間、寒い寒い寒い寒い寒い、だったのが、寒い寒い
寒い「暑い」寒い、に変わった。これはある意味、お得ではないか。
 老眼になって、周りの人がみんなとても綺麗に見えるようになっ
た。かつて、視力がよかった頃「あら、この人、目元のシワが結構
ある」とか「毛穴ケアしてないんじゃないの」、なんて意地悪く観
察したこともあったが、今は世の中の多くの人は美しい。
 細かいところに目が行かなくなり、全体的な表情や仕草に心惹か
れるようになった。もっと言えば、目を頼りにしない人の見方もわ
かるようになった。老眼は、私を少し、いい人にしてくれたように
思う。

 自分の身体と、きちんと向き合う時期がやって来た。
 若い頃の私は、いつだって自分に無理を強いていた。他人にどう
見えるかが判断の基準で、自分の身体を直視しようとはしなかった。
いや、直視するのが怖かった。だから寄せて上げるブラや、無理や
りMサイズや、ガードルコルセット、高価な美容液、エステなどを
鎧にして、自分に言い聞かせていた。
 若くなければならない、若さこそが勝ちなのだ、と。

 でも今は、自分の身体のいちばんの理解者でありたいと思う。
 アンチエイジングに必死になるのではなく、エイジングを受け入
れ、楽しみたいと思う。
 人生の後半、共に生きる私の身体、どうぞよろしく。


<唯川さんからのメッセージ>

 また夏のシーズンがやって来ました。

 ゆうすげ、という名の黄色いユリが最盛期を迎えています。夕方に咲いて朝にしぼむ、という、儚く、妖しげな花です。

 毎年のことですが、外に出ると混雑と渋滞に巻き込まれるので、今はほとんど家で過ごしています。

 私にとって、どこにも出掛けないのが、いちばんリゾートになります。

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